阪神?淡路大震災から30年を迎えた2025年1月17日、神戸大学は、震災で亡くなった学生や教職員を追悼する慰霊献花式を六甲台キャンパス(神戸市灘区)、深江キャンパス(同市東灘区)で行いました。遺族や教職員、在学生、卒業生らが参列し、それぞれの慰霊碑の前で祈りをささげました。六甲台キャンパスでは、震災当時の留学生や神戸商船大学(現?神戸大学大学院海事科学研究科)の関係者も招き、参列者の懇談の場が設けられました。

六甲台第1キャンパスの慰霊碑前で行われた震災慰霊献花式(神戸市灘区、神戸大学)

神戸大学(震災当時)では学生39人(うち留学生7人)、職員2人の計41人が亡くなり、旧神戸商船大学では学生5人(うち留学生1人)、研究員1人の計6人が亡くなりました。 
六甲台キャンパスの式には約250人が参列し、午後零時半、慰霊碑前で黙とう。藤澤正人学長は「我々は被災地の大学として、また、多くの犠牲者を出した大学として、次世代に震災の経験と教訓を伝えていかねばなりません。震災によって命を奪われた教職員や学生の志を受け継ぎ、これからも経験を語り継ぐとともに、教訓を発信し続けていきます」と追悼の言葉を述べました。

続いて、神戸市内の下宿先のアパートが倒壊して亡くなった戸梶道夫さん=当時経営学部2年=の父、幸夫さんがあいさつし、「震災後のどうしようもない悲しみと絶望感、やりきれなさの中で私たちは生き続けてきました。初めは、息子の名前が慰霊碑にあるのを見て、『なんでこんなところにお前の名前が書いてあるんや』と思ってしまいましたが、神戸大学の慰霊碑や(三宮の)東遊園地のモニュメントにたくさんの方のお名前が刻まれていることが、私どもにとっても、それぞれのご家族にとっても、とても大きな意味を持つと思うようになりました」と30年の思いを振り返りました。 
そのうえで「この慰霊碑が関係者だけでなく、阪神?淡路大震災の記録として多くの方々の記憶に残り、災害による悲しい被害ができるだけ少なくなるような活動が神戸大学を中心に発信され、さらに大きな防災の活動につながることを願ってやみません」と語りました。

式では学生団体による献歌もあり、震災後に歌い継がれている「しあわせ運べるように」を合唱しました。参列者は慰霊碑に花を手向け、静かに手を合わせました。

参列した混声合唱団アポロンの部長で理学部3年の西川麗さんは「高知県出身で、神戸大学に入学するまでは阪神?淡路大震災について考える機会はありませんでした。『しあわせ運べるように』を遺族の方々の前で歌うのは初めてで、思いがこもり過ぎて声が震えました。この気持ちが薄れないよう、これからも追悼の場に参加する機会を作っていきたいと思います」と話していました。

慰霊碑の前で追悼の合唱をする学生たち(六甲台第1キャンパス)

慰霊献花式に続き、六甲台キャンパスのレストランで行われた懇談会には、遺族と大学役員、関係者らが参加しました。 
震災当時文学部の研究生で、同郷のミャンマー人研究生2人を失ったティン?エイエイコさんは、震災2カ月後に行われた「神戸大学犠牲者合同慰霊祭」に参列して以来、初めて式典に参列しました。あいさつでは、震災当時、重傷を負ったミャンマー人学生の支援に奔走した経験などに触れ、「震災で人生観が変わりました。大切なのは人間と人間の助け合いだと思います。ミャンマーでも地震が発生している今、国と国をつなぎ、防災の意識を広めることが私の人生の役割だと感じています」と話しました。

また、震災当時、神戸商船大学の学生部長として学内外の対応に奔走した杉田英昭?神戸大学名誉教授は、キャンパスと寮で1000人以上の避難者を受け入れた経験や、学生たちが多くの住民を救出した状況などを振り返り、全国から寄せられた支援に感謝の意を示しました。そして「避難してきた方々に対しては、物資を提供するだけでなく、人間としての尊厳を守る努力が大切だと思います」と、支援者としての教訓を語りました。

深江キャンパスでも午後零時半、練習船「海神丸」の汽笛が鳴り響く中、教職員や学生ら約40人が黙とうをささげ、慰霊碑に手を合わせました。

深江キャンパスの慰霊碑前で手を合わせる参列者(神戸市東灘区) 

(総務部広報課)