神戸大学大学院理学研究科の末次健司特命講師、在野の植物研究家である福永裕一氏、熊本大学大学院自然科学研究科の島岡知恵氏、熊本大学大学院先端科学研究部の澤進一郎教授は、これまでラン科植物「クロムヨウラン Lecanorchis nigricans」として図鑑などで取り上げられていた植物は、「トサノクロムヨウラン Lecanorchis nigricans var. patipetala」という別の植物で、本当の「クロムヨウラン」は、蕾のまま自家受粉するため花を咲かせないという特殊な生態を持つ植物であることを明らかにしました。
本研究成果は、1月11日に、国際誌「Phytokeys」にオンライン掲載されました。
研究の背景
植物を定義づける重要な形質として「葉緑素をもち、光合成を行う」ことが挙げられます。しかし、植物の中には、光合成をやめてキノコやカビの菌糸を根に取り込み、それを消化して生育するものが存在します。このような植物は、菌従属栄養植物※1と呼ばれます。菌従属栄養植物は光合成を行わないため、花期と果実期のわずかな期間しか地上に姿を現しません。このような特徴から、既知種についても、ほとんどの種において菌従属栄養植物の正確な分布情報は謎のままです。そこで末次健司特命講師は、共同研究者とともに、日本国内における菌従属栄養植物の分布の調査と、その分類体系の整理に取り組んでいます。
研究の詳しい内容
その調査の過程で、末次特命講師と在野の植物研究家である福永裕一氏、島岡知恵氏、澤進一郎教授からなる研究グループは、宮崎県や高知県などの限られた地域に分布するムヨウラン属植物が、花が一度も開くことなく固い蕾のまま結実することに気が付きました。この植物は、唇弁と呼ばれる花びらが、匙状で、ムヨウランのように3裂せず先端部は紫色を帯びることから、クロムヨウラン Lecanorchis nigricans そのものか、クロムヨウランに極めて近縁な植物であることがわかりました。しかしながら、現在「クロムヨウラン」と呼ばれている植物は、花がきちんと開くことが知られています (これ以降、「現在クロムヨウランと呼ばれている植物」を「咲くクロムヨウラン」と呼びます)。この「咲くクロムヨウラン」は、本州から鹿児島まで広く分布しており、光合成をやめた植物の中では比較的よくみられる植物です。事実、多くの植物図鑑にも、この「咲くクロムヨウラン」がクロムヨウランとして掲載されています。
もともとクロムヨウランは、本田正次が1931年に和歌山県西牟婁郡岩田村で樫山嘉一氏の採取した標本をもとに発表した植物です。この論文の中で、本田は、「花は正開セズ、花被ハ相接シテ円筒状ヲナス」と書いています。この記述は、本物のクロムヨウランは、花が開かない、つまり「咲くクロムヨウラン」が、本物のクロムヨウランではない可能性を想起させます。しかしながら、「咲くクロムヨウラン」も、開花するとはいえ、わずかな時間しか開花せず、すぐに萎んでしまうことが知られています。そのため彼が観察した標本は、確かに「咲くクロムヨウラン」であったものの、一度開花した後萎んだものを見て、「花は開かず、円筒状である」と述べた可能性も否定できません。
そこで私たちは、クロムヨウランが記載された和歌山県西牟婁郡岩田村 (現 和歌山県西牟婁郡上富田町) の現地調査を行い、この場所のクロムヨウランも、花は一度も開かず硬い蕾のまま落下するのに、きちんと果実をつけることを明らかにしました (図1)。つまり咲くことを放棄した変わった生態を持つ「咲かないクロムヨウラン」こそが、本当のクロムヨウランだったのです。また花を解剖して細かく花の構造を調べてみると、このクロムヨウランは、開花しないだけではなく、「咲くクロムヨウラン」より、花の大きさが小さい、唇弁の色部分の面積が広い、唇弁の丸みが弱く細い、唇弁先端の毛が分枝する、花弁の付け根が太い、ずい柱の曲がり具合が弱いといった特徴でも区別できることがわかりました。
それではより広く分布する「咲くクロムヨウラン」の正体は一体何だったのでしょうか? 実は、澤進一郎教授の父である澤完氏 (元高知大学助教授 故人) は1981年に、高知県高知市で採取された「咲くクロムヨウラン」を、「クロムヨウランのように未開花のまま結実することはない」ことを理由としてトサノクロムヨウラン Lecanorchis nigricans var. patipetalaとして発表しました。しかしながら、1) 澤完氏の記載文 (その植物の特徴を記した文章) は短く、開花の有無以外の形態的特徴をわかりやすく記した図版などを用いなかったこと、2) 澤完氏のトサノクロムヨウラン発表と前後し、複数の図鑑で「咲くクロムヨウラン」がクロムヨウランとして紹介され、クロムヨウランは開花するものだという認識が一般に広まったことから、クロムヨウランから「咲くクロムヨウラン」を区別するという見解が認められることは、長い間ありませんでした。
花を咲かせない変わり者がクロムヨウランで、より普通種である咲くクロムヨウランがトサノクロムヨウランとして区別されることは、感覚的にはなかなか理解が難しいのも事実です。また全国的には咲くトサノクロムヨウランのほうがよく見られますが、「土佐」つまり高知県では、咲かないクロムヨウランのほうが、むしろ普通であるということが状況をさらにややこしくしています (高知で「咲くクロムヨウラン」が特殊であったことから、澤完氏はトサノクロムヨウランを別の実体として認識することができたとも考えられます)。このような状況から、「咲くクロムヨウラン」こそが、クロムヨウランなのだという誤解が生まれ、後世の研究者もそれを鵜呑みにしてしまい、いつの間にかその解釈が広まったのだと考えられます。
しかしながら今回、1) クロムヨウラン自体は、咲かないものに名付けられた名前であること、2) 高知市で採取されたトサノクロムヨウランと他の場所の「咲くクロムヨウラン」の間には形態的差異がないことが明らかになりました。このため澤完氏の見解が正しく、「咲くクロムヨウラン」はトサノクロムヨウランと呼ぶべきだということがわかりました (図2)。
今後の展開
クロムヨウランの興味深い点として、光合成を捨て去っているのみならず、蕾のまま自家受粉するため花を咲かせないという点が挙げられます。クロムヨウランのような菌従属栄養植物は光合成を行わないため、光の届かない暗い林床を生育地としていますが、そのような環境には、ハナバチやチョウといった通常花を訪れる昆虫がほとんどやってきません。そのため、クロムヨウランやトサノクロムヨウランは暗い林床でも確実に繁殖できるように、受粉に昆虫のサポートを必要としない自家受粉を採用しています。しかしながら花粉を運んでくれる昆虫がほとんどやってこないにもかかわらず花を咲かせるのはコストが大きく、クロムヨウランは、花を咲かせることすらやめてしまった可能性があります。同様の進化は、クロシマヤツシロランなど別の光合成をやめた植物でも起こっています。つまりこれらの研究成果は、植物は、光合成をやめる過程で、花粉を運んでくれる昆虫など、他の生物との共生関係までも変化させるということを示唆しています。
今後も菌従属栄養植物の分類学的、生態学的研究を行うことで、植物が「光合成をやめる」という究極の選択をした過程で起こった変化を明らかにしていきたいと考えています。
動画
高知県香美市で2017年7月27日~8月27日まで30分間隔でクロムヨウランのタイムラプス撮影を行い、つなぎ合わせた動画を以下で公開しています。1か月もの間一度も蕾が開花していないこと、にもかかわらず結実していることがわかります。
用語解説
- ※1: 菌従属栄養植物
- 光合成能力を失い、キノコやカビの仲間から養分を奪うようになった植物のこと。ツツジ科、ヒメハギ科、リンドウ科、ヒナノシャクジョウ科、タヌキノショクダイ科、コルシア科、ラン科、サクライソウ科、ホンゴウソウ科などが該当し、これまで日本からは約50種が報告されている。
論文情報
- タイトル
- “The taxonomic identity of three varieties of Lecanorchis nigricans (Vanilleae, Vanilloideae, Orchidaceae) in Japan”
- DOI
- 10.3897/phytokeys.92.21657
- 著者
- Kenji Suetsugu, Chie Shimaoka, Hirokazu Fukunaga, Shinichiro Sawa
- 掲載誌
- Phytokeys