これまでの香川大学医学部薬理学?柴山弓季研究員と西山成教授らの研究によって、(プロ) レニン受容体 [(P)RR] が膵臓癌の病態に関連することがわかっていました (Shibayama et al. Scientific Report 2015)。今回の研究では、共同責任著者である東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻の藤本明洋教授の協力のもと、藤田医科大学、大阪大学、東北大学、宮城県立がんセンター、姫路市、大阪市立総合医療センター、岐阜大学、神戸大学、大阪医科大学、四日市看護医療大学などの数多くの研究グループとコラボレーションすることにより、正常な膵臓の細胞 (培養ヒト膵管上皮細胞) に (P)RRが発現すると、以下に説明するようなゲノム不安定性注2、すなわち遺伝子と染色体の異常が生じて、癌の性質を持つ細胞になることが世界で初めて明らかとなりました。
ヒト膵管上皮細胞に (P)RRを発現させると、癌で見られる形態の細胞になりましたが、そのような変化には、染色体全体に渡る多数の遺伝子と染色体の異常が伴っていることが判明しました。さらに、DNA複製や修復、テロメアの伸長維持といった「DNAを健全に保つための機能」が軒並み破綻していることがわかりました。実際、(P)RRをたくさん発現するヒト膵管上皮細胞を免疫不全マウス注3に移植すると、腫瘍を形成することも確認されました。以上の結果は、(P)RRが膵臓癌の発症に根本的に関わっていることを強く示唆するものであることから、現在、香川大学医学部薬理学教室では (P)RRをターゲットにした癌に対する新しい治療法や診断法の開発を進めています。
この研究成果は、2020年11月27日に英国の学術誌「Communications Biology」に掲載?オンライン公開されました。
ポイント
- 膵臓癌がどのようにできるのかは不明ですが、香川大学の研究グループは、膵臓に癌ができる前に、(プロ)レニン受容体 [(P)RR]注1という分子の発現が増えていることを見つけていました。
- これに対して今回の研究では、正常の膵臓の細胞 (培養ヒト膵管上皮細胞) に (P)RRをたくさん発現させると、遺伝子と染色体の異常が生じ、癌の性質を持つ細胞になることを発見しました。
- 今後、(P)RRを標的とした膵臓癌の新しい診断?治療法の開発が、大きく期待されます。
研究の背景
膵臓癌は、最も治療が難しい癌として知られています。膵臓癌では、ゲノムが不安定のために多くの遺伝子や染色体の異常が生じるとされており、これが治療を困難にしている原因と考えられています。一方、(P)RRは、もともと高血圧などに関与するレニン?アンジオテンシン系注4の一部として機能することが分かっていましたが、私たちの先行研究において、膵臓癌では (P)RRの発現が増えており、癌の進展に関わっていることを見つけていました (Shibayama et al. Scientific Report 2015)。さらに、この先行研究において、癌になる一歩手前の前癌病変注5の段階で、(P)RRの発現が増えてきていることを偶然発見しました。そこで、正常の膵臓の細胞に (P)RRの発現が増えてくると、癌で見られるゲノムの不安定性、すなわち遺伝子や染色体に異常が起こるかもしれないと考え、本研究を立案しました。
研究結果
1) (P)RRの発現が増えると、正常の膵臓の細胞が癌細胞の性質を持つようになる
膵管上皮細胞が癌化すると膵臓癌となります。そこで、培養ヒト正常膵管上皮細胞 (HPDE-1/E6E7) に対し、永続的に(P)RRが過剰に発現するように遺伝子誘導したところ(Fig.1A)、癌で見られるような大きさがバラバラでいびつな形の核や細胞に変化してくることがわかりました(Fig.1B および1C)。
2) 正常な膵臓の細胞で(P)RRの発現が増えると、ゲノムの不安定性が生じる
そこで、次世代シーケンサー注6を使って、遺伝子と染色体を比較しました。その結果、(P)RRがたくさん発現すると、全染色体レベルでゲノムの不安定性、すなわち多数の遺伝子や染色体の異常が生じることが分かりました(Fig.2)。つまり、癌のように、遺伝子や染色体が正常に機能しなくなる可能性があるということが分かりました。
3) (P)RRがたくさん発現すると腫瘍になる
正常の培養ヒト膵管上皮細胞に (P)RRを発現させると、細胞の増殖スピードが上昇しました(Fig.3A)。また、これを免疫不全マウス注3の腎臓に移植すると、癌の特徴である異型細胞を含む腫瘍を形成しました (Fig.3B)。これらの結果から、(P)RRが膵臓癌を形成する主要な因子の一つであると考えられました。
まとめ
本研究により、正常な膵臓において(P)RRの発現が増えると、ゲノム不安定性、すなわち遺伝子と染色体の異常を生じて、それが癌の発症につながるのではないかと考えられました。本研究成果は、膵臓癌における治療法や診断薬の開発において、(P)RRが有効な分子ターゲットになることを大きく支持するものであり、今後の新しい診断?治療法の開発が期待されます。
内容を説明したビデオ
本研究への支援
- 日本学術振興会科学研究費補助金 (16K14610 and 19K07690 to Y.S. and 18H03191 to A.N.)
- Sanju Alumni Research Grant
- 東京バイオマーカー?イノベーション技術研究組合 (TOBIRA)
用語解説
注1) (プロ) レニン受容体[(P)RR]
もともとは、レニン?アンジオテンシン系注4を構成する一回膜貫通型タンパク質として同定された。最近の研究では、癌化に関連するWntシグナルや、細胞内のpHを調節するvacuolar H+-ATPase (V-ATPase) と分子間相互作用を持つなど様々な細胞機能に寄与することが明らかになっている。
注2) ゲノム不安定性
DNAの修復や損傷の応答異常によって、細胞内で染色体や遺伝子異常が蓄積すること。
注3) 免疫不全マウス
免疫不全マウスは、免疫系が阻害されている。その結果、ヒトの正常細胞や癌細胞を移植しても拒絶反応がなく、マウスの体内での生着が可能である。
注4) レニン?アンジオテンシン系
血圧や体液量、血清電解質の調節に関わる内分泌系の調節機構。
注5) 前癌病変
正常組織に比べて、癌が発生しやすい状態に変化した組織。
注6) 次世代シーケンサー
遺伝子の塩基配列を高速かつ大量に読み出すことができる装置。
論文情報
タイトル
DOI
10.1038/s42003-020-01434-x
著者
Yuki Shibayama1, Kazuo Takahashi2, Hisateru Yamaguchi3,4, Jun Yasuda5,6, Daisuke Yamazaki1,7, Asadur Rahman1, Takayuki Fujimori8,9, Yoshihide Fujisawa10, Shinji Takai11, Toru Furukawa12, Tsutomu Nakagawa13, Hiroyuki Ohsaki14, Hideki Kobara8, Jing Hao Wong15, Tsutomu Masaki8, Yukio Yuzawa2, Hideyasu Kiyomoto16, Shinichi Yachida17, Akihiro Fujimoto15, Akira Nishiyama1
責任著者
Akihiro Fujimoto15, Akira Nishiyama11. 香川大学医学部薬理学
2. 藤田医科大学医学部腎臓内科
3. 藤田医科大学総合医学研究所医高分子学研究部門
4. 四日市看護医療大学看護医療学部
5. 東北大学東北メディカル?メガバンク機構ゲノム解析部門
6. 宮城県立がんセンター発がん制御研究部
7. 大阪市立総合医療センター腎臓?高血圧内科
8. 香川大学医学部消化器?神経内科学
9. ふじもり内科?消化器内科クリニック
10. 香川大学総合生命科学研究センター
11. 大阪医科大学大学院医学研究科創薬医学
12. 東北大学大学院医学系研究科?医学部病態病理学
13. 岐阜大学応用生物科学部生物化学
14. 神戸大学大学院保健学研究科病態解析学
15. 東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻人類遺伝学分野
16. 東北大学東北メディカル?メガバンク機構地域医療支援部門
17. 大阪大学大学院医学系研究科?医学部がんゲノム情報学掲載誌