神戸大学大学院医学研究科糖尿病?内分泌内科学部門の小川渉教授らの研究グループは、希少疾患である治療抵抗性の糖尿病(インスリン抵抗症および脂肪萎縮性糖尿病)の患者を対象に、世界で初めてSGLT2阻害薬エンパグリフロジンの有効性および安全性を評価する医師主導治験(注1) を実施し、良好な成績を得ました。
この結果はSGLT2阻害薬であるエンパグリフロジンが、これらのまれな糖尿病の治療の選択肢となることを示しており、疾患に苦しむ患者に、より良い治療を提供できる可能性を明らかにしました。
ポイント
- インスリン抵抗症および脂肪萎縮性糖尿病は、強いインスリン抵抗性を示すまれな糖尿病(注2)であり、従来の経口血糖降下薬の効果が不十分な例が多く、治療に際して多量のインスリンを皮下注射する必要があり、その弊害も大きい。
- SGLT2阻害薬はインスリンとは独立したメカニズムで血糖を低下させることから、このような強いインスリン抵抗性を示す糖尿病に対する効果が期待されていた。
- 今回、インスリン抵抗症および脂肪萎縮性糖尿病に対して、SGLT2阻害薬の一つであるエンパグリフロジンの有効性および安全性を評価する医師主導治験を実施し、良好な成績を確認した。
- 本試験で示された結果はエンパグリフロジンがこれらの疾患の治療選択肢になることを示しており、これらのまれな糖尿病に苦しむ患者に、より良い治療を提供できる可能性を明らかにした。
研究の背景
インスリン抵抗症と脂肪萎縮性糖尿病は、インスリンが体の中で効きにくくなること(インスリン抵抗性)によって発症するまれな糖尿病です。インスリン抵抗症はインスリン受容体の働きが障害されるために、また脂肪萎縮性糖尿病では脂肪組織が欠如あるいは大幅に減少するためにインスリン抵抗性が起こり、国内の推定患者数はそれぞれ100名程度です。これらの疾患では、従来の経口血糖降下薬の効果が不十分な例が多く、しばしば多量のインスリンの皮下注射が必要になります。多量のインスリンの皮下注射は、痛みなど患者への負担も大きく、重大な副作用である低血糖が起きるリスクも高まります。
保険診療上、このような特殊な糖尿病に対して適応のある経口血糖降下薬はなく、インスリンに加えて、IGF-1製剤やレプチン製剤という特別な注射薬が使用されます。SGLT2阻害薬を含む経口血糖降下薬は、医師の判断の下、有効性や安全性に対する検証が不十分なまま、保険適応外で処方されているのが実情です。また、これらの疾患は患者数が少ないため、社会における疾患の認知度が低く、しばしば通常の糖尿病と一括りにされてしまったり、逆に治療法が無い得体の知れない病気と受け取られたりして、患者にとって心理的負担になっています。
SGLT2阻害薬は、尿へのグルコース排泄を促進することによって血糖を低下させるため、強いインスリン抵抗性を示す糖尿病においても血糖低下が期待できると考えられてきました(図1)。
薬剤が保険適応の承認を得るためには「治験」と呼ばれる臨床試験を行い、その結果を厚生労働省に提出する必要があります。治験を実施するには、研究の質を担保するためなどに多額の費用がかかるため、まれな疾患に対しては治験が行われることが少ないのが実情です。 ?
研究の内容
小川教授らは、インスリン抵抗症患者および脂肪萎縮性糖尿病患者を対象として、SGLT2阻害薬であるエンパグリフロジンの有効性および安全性を評価する医師主導治験を実施しました(注3)。これらのまれな疾患を継続的に治療している全国の5つの大学病院(注4) において、対象患者8例に対してエンパグリフロジン10mgを1日1回経口投与、効果の不十分な例には25mgに増量して行い、24週間後におけるHbA1c値(注5) の治療前からの変化量を評価しました。
その結果、HbA1c値は治療前と比較して平均で約1%低下しました (8.46±1.45%→7.48±1.26%)。また、インスリンを使用していた患者では平均使用量が約30単位 (116.5±38.9単位→89.0±52.3単位) 減少しました。
この研究の意義と今後の展開
これまでにもインスリン抵抗症および脂肪萎縮性糖尿病に対するSGLT2阻害薬の使用例は報告されていましたが、治験の厳格な基準に基づいて有効性および安全性を評価したのは今回が初めてです。
1日1回飲み薬を服用することで、血糖コントロールが改善した上にインスリン使用量が減少したことは、健康上のメリットに加えて、患者の生活の質の向上にも繋がると考えられ、その意義は大きいと考えられます。
今回の治験結果に基づき、インスリン抵抗症や脂肪萎縮性糖尿病の患者が正式な保険診療として本剤を使用できるようにするため、エンパグリフロジンの適応症としてインスリン抵抗症および脂肪萎縮性糖尿病の適応追加の申請が計画されています。
研究者のコメント (小川渉教授)
まれな疾患に罹患している患者さんは、疾患の認知度が低いことにより様々な面で不利益を強いられています。特に遺伝子の変異がその主な原因であるインスリン抵抗症および脂肪萎縮性糖尿病の患者さんは、しばしば、通常の糖尿病と一括りにされることに、強い違和感と心理的な負担を持っておられます。
今回の結果は、インスリン抵抗症や脂肪萎縮性糖尿病の患者さんに、より良い治療を提供できる可能性を示した点において朗報であるだけでなく、インスリン抵抗症および脂肪萎縮性糖尿病がSGLT2阻害薬エンパグリフロジンの正式な適応症となれば、この薬剤を販売している製薬会社の情報提供活動などを通じて、疾患の認知度が向上し、これらの疾患に対する無理解の改善に繋がることも期待されます。
補足説明
- (注1)
- 治験は保険適応承認を目的として行う臨床試験であり、厳格な基準で実施されます。治験の中で医師の立案で行われるものを医師主導治験と呼びます。
- (注2)
- 糖尿病は主に免疫学的メカニズムによりインスリン分泌が障害される1型と、体質と生活環境が相まって起こる2型に大別され、この2つの病型が糖尿病の95%程度を占めます。この2つの病型に分類されないまれな糖尿病も数多くありますが、そのような糖尿病を適応症とする薬剤はほとんどありません。
- (注3)
- 今回の試験は日本ベーリンガーインゲルハイム株式会社と日本イーライリリー株式会社による資金提供の基で実施されました。
- (注4)
- 神戸大学、東北大学、岡山大学、日本医科大学、自治医科大学の各大学病院。
- (注5)
- 過去1~2ヵ月の血糖値を反映する指標であり、糖尿病の治療効果の判定に用いられます。
試験情報
- 研究名称
- “インスリン抵抗性を伴う難治性糖尿病に対するエンパグリフロジン療法の有効性ならびに安全性に関する多施設共同非盲検単群試験”
- JRCT番号
- jRCT2051190029