神戸大学大学院海事科学研究科の井尻暁准教授、高知大学大学院修士課程修了生の泉孟氏、高知大学海洋コア総合研究センターの加藤悠爾研究員(JSPS-PD)、自然科学系理工学部門の池原実教授、海洋研究開発機構の諸野祐樹主任研究員、株式会社マリン?ワーク?ジャパンの寺田武志総括主任の研究グループは、セルソーターを用いた珪藻殻の形態別分離手法の開発を行い、円盤型珪藻の完全分離に成功しました。
この手法を用いて、南大洋(南極海)で採取された堆積物試料から円盤型珪藻を抽出して酸素安定同位体比を測定したところ、その酸素同位体比が、全球的な海洋環境変動の指標である底生有孔虫の酸素同位体標準曲線や、南極大陸で採取された氷床コアに記録された気温の変動と対比可能であることを明らかにしました。今後、この手法を用いることにより、過去の水温や塩分などの定量的なデータが少なかった南極や北極周辺(極域)の海洋環境の変動について正確なデータを得ることができ、極域の古海洋研究が飛躍的に進むことが期待されます。
この研究成果は、9月3日に、アメリカ化学会が発行する専門学術誌「ACS Earth and Space Chemistry」に掲載されました。
【追記 2021/09/29】
9月13日にプレスリリースした本研究結果が、アメリカ化学会の出版する雑誌の中からEditors' choice として選ばれました。
- ACS Editors’ Choice (ACS Publications)
ポイント
- 1/50ミリメートルサイズの珪藻殻の形態別分離濃集に世界で初めて成功
- この手法を用いて南大洋(南極海)の堆積物試料から抽出した円盤型珪藻の酸素同位体比は、全球の海洋環境変動や、南極氷床の気温記録と対比可能
- これまで定量的なデータの空白域であった南極、北極周辺海域の古水温?塩分記録を得ることができる
研究の背景
過去の海洋環境の変動は海底堆積物中に記録されており、海底から柱状の堆積物試料(コア試料)を採取し、その中に保存された化石や化学組成の変化を調べることで海洋環境の変遷を推定することができます。なかでも動物プランクトンである有孔虫は炭酸カルシウムで構成される殻をもち、その酸素安定同位体比*1?は、海水の温度と酸素同位体比を反映することから、海水温や塩分、氷床量の指標として最も重要かつ定量的な基礎データとして古海洋環境復元に大きく貢献してきました。しかし炭酸カルシウムは、有孔虫の産出の少ない高緯度海域や、炭酸塩補償深度以深の深海底には堆積しないため、世界の海洋の1/3程度を占めるこれら高緯度海域や深海底では酸素同位体比のデータを得ることが出来ません。南大洋など極域の海洋環境は全球気候変動に大きな役割を果たしているため、極域から有孔虫の同位体データが得られないことは古気候?古海洋研究にとって大きな障壁となっていました。
一方、極域には植物プランクトンである珪藻の殻を多く含む珪藻軟泥が堆積しています。珪藻の殻はオパール(SiO2?nH2O)で構成され、その酸素同位体比は有孔虫の殻と同じく水温と海水の酸素同位体比を反映すると考えられており、有孔虫が産出しない極域の古海洋環境指標として期待されています。しかし、その分析には多くの課題が残されており、特に最大の課題は、測定に用いる試料の前処理法が確立されていないことでした。珪藻は殻のサイズが数十?mと小さいために、有孔虫殻のように実体顕微鏡下において任意の分類群のみを手作業で分取することができません。そのためこれまでの研究では、測定用試料に堆積物中の粘土鉱物が混入し、かつ複数の珪藻種が混在したまま同位体比の分析が行われてきており、そのデータは不確実性を含んでいました。粘土鉱物は珪藻殻に比べて低い酸素同位体比をもつため、粘土鉱物の混入は珪藻殻の酸素同位体比測定結果に深刻な影響を及ぼします。また珪藻は中心型珪藻と羽状型珪藻に大きく二分され*2、それらの殻は、種ごとの生息水深や増殖時期の違いのために異なる海水の情報(水深、季節)を記録している可能性があります。したがって、珪藻殻酸素同位体比の古海洋指標としての精度?信頼性を向上させるためには、粘土鉱物の除去および任意の分類群の珪藻殻を抽出できる新たな試料前処理法の開発が必要でした。
研究の内容
本研究では、重液分離法や遠心分離、およびセルソーターによる処理を組み合わせ、粘土鉱物の除去、中心型珪藻殻の中でも円盤状の形をした殻の濃集および分取を行うことで、堆積物試料から円盤型珪藻殻を完全分離する新たな前処理法を開発しました。開発のための基礎実験には、南大洋インド洋区コンラッド海台(図1)から採取された堆積物試料を用いました。円盤型の珪藻は南大洋に広く分布し、氷期-間氷期を通して産出する Thalassiosira lentiginosa がその代表種であるため、円盤型珪藻殻は南大洋の古海洋研究に広く利用できると期待されます。セルソーターは特定の光学的特徴を持つ粒子を高速で分取することができ、微生物や細胞の分取に用いられていますが、珪藻の形態別の分離はこれが初めての試みです*3。
新たに開発した前処理方法により、コア試料のすべての層準で粘土鉱物や珪藻以外の堆積粒子を取り除き、ほぼ100%珪藻殻だけを抽出し、さらに円盤型珪藻殻を95%以上の純度で分取することに成功しました(図2)。分取した円盤型珪藻殻の48–96%は T. lentiginosa によって占められていました。同層準における複数回の酸素同位体分析*4 の結果、従来の前処理法と比べて繰り返し測定精度が向上したことが確かめられました。これは、粘土鉱物や珪藻以外の混合物を取り除いたことと、分析に供した珪藻種を円盤型珪藻に絞ることができたためだと考えられます。この前処理法を用いて、過去4万年分の堆積物試料から円盤型珪藻を抽出して酸素同位体測定を行いました。その結果、中心型珪藻の酸素同位体比は、底生有孔虫の酸素同位体変動曲線や、南極大陸で採取された氷床コアから得られた気温記録と同様の変動を示し対比が可能であることが明らかになりました。
今後の展開
南極や北極など極域の海洋表層の水温や塩分は、氷床の拡大?縮小の影響を鋭敏に反映し、またその水温、塩分の変化は深層水の形成など全球的な海洋循環?気候変動に大きな影響を与えています。本研究で開発した手法を用いることにより、これまでデータの空白域であった極域における過去の水温や塩分の指標となる酸素同位体比データを高精度で得ることができ、極域の古海洋環境復元の研究が飛躍的に進むと期待されます。
用語解説
- *1 酸素安定同位体比
- 酸素原子には、質量数が異なる3種類の安定同位体(16O、17O、18O)が存在し、有孔虫殻を構成する炭酸カルシウム中の酸素原子にもこうした複数種の安定同位体が含まれている。そのうち、有孔虫殻に含まれる質量16の酸素に対する質量数18の酸素の割合(酸素安定同位体比)は、殻形成時の水温や海水の酸素安定同位体比(塩分指標)に依存することが知られている。同様に、珪藻殻を構成する生物源オパールの酸素安定同位体比も、殻形成時の水温や海水の酸素安定同位体比に依存することが知られている。
- *2 中心型珪藻?羽状型珪藻
- 珪藻は殻の形から中心型珪藻と羽状型珪藻に大きく分けられる。中心型珪藻の多くは円盤状の形をしている。
- *3 セルソーティング技術(微生物細胞の光学分取技術)
- 0.1ミリメートル以下の微細水流中を流れる細胞にレーザー光を照射し、発生する前方?側方散乱光や蛍光を測定し、その光学的特徴に基づいて目的の細胞集団を高速に(一秒間に数千から数万個)分離する技術。本研究では堆積物の構成粒子を微細水流中に流し、レーザー光の照射により発生する前方?側方散乱光について、珪藻殻が発する散乱光を特定し、円盤型珪藻殻の選択的回収に成功した。
- *4 珪藻殻の酸素同位体分析
- 酸素同位体分析は井尻らが開発した、「微小量生物源オパール酸素同位体分析システム」を用いて行った。この分析システムでは最小40?gのオパールの酸素同位体比を±0.3‰の精度で測定できる。セルソーターで分取される数十~数百マイクログラムと微小量の珪藻殻の酸素同位体分析には不可欠の分析システムである。
Ijiri, A., Yamane, M., Ikehara, M., Yokoyama, Y., Okazaki, Y. (2014) Online oxygen isotope analysis of sub-milligram quantities of biogenic opal using the inductive high-temperature carbon reduction method coupled with continuous-flow isotope ratio mass spectrometry. Journal of Quaternary Science, 29, 455–462.
謝辞
本研究はJSPS科研費23244102, 19H00730, 17H06318の助成を受けたものです。
論文情報
- タイトル
- “Purification of Disc-Shaped Diatoms from the Southern Ocean Sediment by a Cell Sorter to Obtain an Accurate Oxygen Isotope Record”
- DOI
- 10.1021/acsearthspacechem.1c00201
- 著者
- Akira Ijiri, Takeshi Izumi, Yuki Morono, Yuji Kato, Takeshi Terada, Minoru Ikehara
- 掲載誌
- ACS Earth and Space Chemistry