先端のレーザー技術を用いた光科学の研究では、極めて強く短いパルス光を物質に照射することにより、多くの新奇な現象が発見されています。これらの現象を理解するためには、光を照射した物質の内部で起こる、電子やイオンのミクロな運動を解明することが必要です。本研究では、スーパーコンピュータ「富岳」を用い、1万を超える原子を含むナノ物質の光応答の第一原理計算に、世界で初めて成功しました。

物質に光を照射すると、振動する光の電場により、物質中の電子とイオンが揺すられます。この電子やイオンの運動が光の伝搬に影響し、光の屈折や反射が起こります。このような光科学現象を解明するには、光の電磁場、電子、そしてイオンの運動を、物質科学の第一原理計算法に基づき同時に記述することができるオープンソースソフトウェアSALMONによる計算が有効です。本研究では、「富岳」の性能を生かした計算を行うため、理論物理学と計算機科学の研究者が密接に協力し、SALMONに対する高度なチューニングを行い、「富岳」の全システムのおよそ1/6を用いた10万以上のプロセスからなる並列計算により、約6ナノメートルの厚さを持つ酸化ケイ素ガラスの薄膜と高強度なパルス光の非線形光応答を調べることに成功しました。

研究代表者

筑波大学計算科学研究センター
矢花 一浩 教授

神戸大学大学院工学研究科電気電子工学専攻
植本 光治 助教

研究の背景

光と物質の相互作用を用いた研究は、基礎と応用の両面で急速に発展しています。特に、2018年にノーベル物理学賞の対象となった、強くて短いパルス光注1) を作るレーザー技術や、ナノメートルサイズの微細な物質と光の相互作用は、それぞれ、アト秒科学注2) や非熱レーザー加工、ナノ光学やプラズモニクス注3) などの新しい分野を切り拓いています。

光は、電場と磁場が振動しながら伝搬する電磁波です。光を物質に照射すると、光の電場により物質中の電子とイオンが揺すられます。この電子やイオンの運動が光の伝搬に影響し、光の屈折や反射が起こります。このような光科学現象を解明するためには、光が照射した物質中で起こる電子やイオンの運動を精密に調べることができる、計算科学の方法が有効です。

光により揺すられた電子やイオンのミクロな運動は、物質科学の第一原理計算注4) の方法を用いて正確に記述することができます。本研究グループはこれまで、非常に短い時間で起こる電子の運動や物質中の光の伝搬を第一原理計算法によって計算するオープンソースソフトウェアSALMON注5) の開発において、中心的な役割を担ってきました。第一原理計算は大きな計算リソースを必要とするため、スーパーコンピュータの利用が不可欠です。昨年3月から本格的な稼働が始まった「富岳」注6) を用いると、これまでにない大規模な計算が可能であり、光科学の分野でも大きな発展が期待されます。本研究では、SALMONを用いた計算を「富岳」で行い、世界で初めて、1万を超える原子で構成されるナノ物質の光応答の計算に成功しました。

研究内容と成果

参考図 光と物質の相互作用のイメージ

多数の原子からなる物質 (SiO2) の表面に、パルス光が入射し、光のエネルギーが表面の電子やイオンに移行する様子を表している。

光と物質の相互作用(参考図)には、さまざまな物理法則が関わり、光の伝搬、電子の運動、イオンの運動は、それぞれ異なる方程式で記述されます。SALMONでは、電子軌道や光電磁場のポテンシャルを3次元空間格子を用いて表し、これらの方程式を同時に解き進めることができます。

またSALMONでは、真空中に孤立した原子や分子、周期的な結晶、そしてナノメートルスケールの構造体など、さまざまな形状の物質と光の相互作用を調べることができます。物質の表面やナノメートルサイズの構造体、そして不純物や欠陥のある結晶を調べるには、少なくとも数十から数百の原子を含む物質に対する計算が必要になり、スーパーコンピュータを用いた計算が必要です。1辺が10個の原子からなる立方体のナノ構造体は1,000個の原子を含みますが、現実に作成されるナノ物質はさらに大きなサイズの場合がほとんどであり、数千を超える原子からなる物質の計算が求められています。

今日のスーパーコンピュータは多数のCPUで構成されており、これらを同時に効率的に利用する並列化が必要とされます。特に、15万以上のCPUを搭載した「富岳」の性能を活かすためには、高度なチューニングが必要です。本研究では、筑波大学計算科学研究センターに所属する理論物理学の研究者と計算機科学の研究者の密接な協力のもと、極めて高い計算性能をSALMONで実現しました。今回の計算では、「富岳」の全システムのおよそ1/6にあたる27,648ノード(CPU)を用い、その4倍の10万以上のMPIプロセス注7)を用いて、最大で13,632原子からなる物質の光応答計算を行いました。これまでの類似した計算では約6,000原子からなる物質が最大で、本研究により、世界で初めて、1万を超える原子を含む物質に対する計算が可能になりました。

本研究で扱ったのは、アモルファス状のガラス(SiO2)の薄膜にパルス光が垂直に入射する場合の計算です。厚さ6ナノメートルのナノ薄膜は、1万以上の原子を含みます。極めて高い強度のパルス光を入射させた計算から、ガラスが透明ではなくなり、光の吸収が起こることが見いだされました。これは、高強度レーザーを用いたガラス加工の初期過程に相当します。また、反射波や透過波には、入射光の振動数の数倍から数十倍の振動数を持つ高次高調波の発生が確認できました。このように、パルス光の照射で起こる超高速?非線形現象を、計算科学によって、実験の状況そのままにシミュレーション可能であることが確かめられました。

今後の展開

SALMONは、光のパルス波形や振動数、物質の種類や形状を自由に設定して計算することで、最先端の光科学実験を丸ごと計算機の中でシミュレーションする数値実験室の役割を果たします。このようなシミュレーションは、実験の前に結果を予測したり、実験を行うことが困難な条件下での現象を調べることや、直接実験で測定することが難しいミクロな空間での電子やイオンの運動がもたらす現象の解明に役立ちます。

今後、「富岳」をはじめとするスーパーコンピュータを用いた計算を多様な光科学現象に対して行い、原子レベルから現象を解明することの有効性を示すことで、SALMONが世界標準のソフトウェアとして広く利用されることを目指します。

用語解説

注1 強くて短いパルス光
光の電場の大きさが、物質中で電子に働く電場の大きさと同程度のとき、「強い光」と呼ぶ。また、パルス光の時間の長さが、電子が原子を1周するのにかかる時間と同程度のとき、「短い光」と呼ぶ。
注2 アト秒科学
10-18秒(アト秒)レベルの極めて短いパルス光(アト秒パルス)を用いて、物質中の電子の運動を調べ制御する科学技術のこと。電子が原子の中を1周するのにかかる時間は100アト秒程度で、先端の光科学では、これよりも短いパルスの光波を作ることが可能となっている。
注3 プラズモニクス
ナノメートルサイズの金属のナノ構造体に光を照射して起こる電子の運動を用いて、光の伝搬を制御する技術。金属ナノ構造体を周期的に配列した人工物質を用いると、広い面積で光を操作することができる。
注4 第一原理計算
物質に含まれる原子の数や種類を指定することにより、量子力学に基づいて電子の状態を計算し、物質の構造や性質を調べる方法。多くのソフトウェアが開発され、物理学や化学、材料工学の分野で用いられている。
注5 SALMON
Scalable Ab initio Light-Matter simulator for Optics and Nanoscience(光学とナノ科学のためのスケーラブルな非経験光?物質シミュレータ)の略。ウェブページ(https://salmon-tddft.jp)から、ダウンロード可能。
注6 スーパーコンピュータ「富岳」
スーパーコンピュータ「京」の後継機として理化学研究所に設置された計算機。令和2年6月から令和3年11月にかけてスパコンランキング4部門で1位を4期連続で獲得するなど、世界トップの性能を持つ。令和3年3月9日に本格運用開始。
注7 MPIプロセス
MPIは、Message Passing Interfaceの略。多数の計算ノードからなる計算機で行う計算で、異なる計算ノードが保有するメモリの間でデータをやり取りしつつ計算を行う個々の処理過程のこと。

研究資金

本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業CRESTの研究課題「光?電子融合第一原理ソフトウェアの開発と応用」(JPMJCR16N5)、文部科学省 ポスト「京」重点課題7「次世代の産業を支える新機能デバイス?高性能材料の創成」(hp190193)、および文部科学省 光?量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)「次世代レーザーイノベーション拠点」(JPMXS0118068681)の支援を受けて行われました。

論文情報

タイトル
Large-scale ab initio simulation of light-matter interaction at the atomic scale in Fugaku
(富岳における光と物質の相互作用に対する原子スケールでの大規模非経験シミュレーション)
DOI
10.1177/10943420211065723
著者
Yuta Hirokawa, Atsushi Yamada, Shunsuke Yamada, Masashi Noda, Mitsuharu Uemoto, Taisuke Boku, and Kazuhiro Yabana
掲載誌
International Journal of High Performance Computing Applications
2022年1月2日(オンライン掲載)

研究者