神戸大学大学院工学研究科の根来英利氏 (研究当時、博士課程前期課程学生)、杉本泰准教授、藤井稔教授の研究グループは、円偏光状態の近接場を形成できる球状ナノアンテナの開発に成功しました。
キラルな分子は鏡像異性体同士で生体に対して全く別の性質を示すため、その検出と分離が非常に重要です。キラル分子の左右円偏光に対する光吸収の差分 (円二色性) を利用する検出法や光反応が知られていますが、その吸収差が非常に小さく、分析には高濃度のサンプルと長い測定時間を要します。電磁場を強める「ナノアンテナ」を利用して、吸収を増強する手法が注目されていますが、従来のナノアンテナでは照射円偏光の円偏光状態を保持することが困難でした。本研究では、電磁場増強と円偏光状態の保持を両立できる新しいナノアンテナを提案?実証しました。研究グループが独自に開発したシリコンナノ粒子コロイドにおいて、可視域の広い範囲で入射光の円偏光状態を保持した光学共鳴を実現しました。
本成果は今後、キラル分子の高感度センシングや光不斉反応への応用が期待されます。この研究成果は、5月29日 (米国時間) に、国際科学誌Nano Lettersに掲載されました。
ポイント
- 誘電体ナノ粒子の特異な光学共鳴を利用して、円偏光の近接場を形成するナノアンテナを提案し、実証しました。
- 本技術により、キラル分子の円偏光選択的な応答を強めることができます。
- 本研究の成果は、生体分子や化学物質、医薬品のキラリティ分析や光不斉反応への応用が期待されます。
研究の背景
キラリティは、物質がその鏡像と重ね合わせることができないという性質です。キラルな分子は、鏡像異性体同士で生理活性が大きく異なるため、生命科学や薬理学の領域で、高効率に鏡像異性体を認識?選別する新しい技術の開発が強く求められています。既存技術では、キラル分子の左右円偏光に対する光吸収強度の違い (円二色性) を利用する検出法や光反応がありますが、分析には高濃度のサンプルと長い測定時間を要します。これは、円偏光の螺旋のピッチに対するキラル分子のサイズが小さいため、左右円偏光の吸収差が非常に小さいことが原因です。円二色性を増大するために、光波長より小さいナノスケールの領域で円偏光の増強場を実現する技術が求められています。円偏光の増強場の指標である「光キラリティ」は、電場?磁場をともに増強し、入射円偏光の回転方向 (ヘリシティ) が保存されるときに最大になります。しかしながら、従来のナノアンテナ (例えば局在表面プラズモン共鳴※1をもつ金属のナノアンテナ) は、入射電場とは共鳴しますが入射磁場に対する応答が小さいため、ヘリシティが保存されません。そのため、電場、磁場ともに共鳴する新しいタイプのナノアンテナの開発が求められています。
研究の内容
本研究では、高い屈折率を持つ誘電体のナノ粒子のMie共鳴※2に着目しました。Mie共鳴には電気双極子共鳴と磁気双極子共鳴 (図1左) があり、光の周波数領域に低次のMie共鳴をもつ誘電体ナノ粒子は、入射電場と入射磁場を両方増強することができます。このようなナノ粒子は電磁気対称性があり、“dual”なナノアンテナと呼ぶことができます (図1右)。“dual”なナノアンテナは、ナノアンテナ自体はアキラル※3な構造であるにも関わらず、2つの共鳴により光キラリティを増大できます。このとき、共鳴による散乱光は入射光のヘリシティ (円偏光の回転方向) を保持します。本研究では、可視~近赤外領域にMie共鳴を有し、電磁場増強と円偏光状態の保持を両立できる新しいタイプのナノアンテナを開発しました。
はじめにMie理論によりシリコンナノ粒子の光学共鳴のヘリシティ密度を計算し、電気双極子と磁気双極子共鳴の強度および位相が等しくなるKerker条件※4において、入射円偏光のヘリシティが保存され、円偏光の近接場が形成できることを示しました。この特性を実証するために、研究グループは独自に開発した結晶シリコンナノ粒子のコロイド溶液を用いました。図2 (a) にサイズの異なるシリコンナノ粒子を分散したコロイド溶液の写真を示します。サイズ分布を5%以下まで抑制することで、鮮やかな散乱発色が見られます。本材料に対して右回り円偏光を照射した際の散乱光の右回り、左回り円偏光成分を精度よく測定できる系を構築し、ヘリシティ密度スペクトルを求めました。共鳴が“dual”でない粒子 (例えば金のナノ粒子) では、図2 (b) のように散乱光の偏光状態が変化し、入射光ヘリシティは保存されません。ヘリシティ密度は図2 (c) のように、実験?計算共にほぼ0になります。一方、Kekrer条件を満たす“dual”なナノ粒子では、散乱光は入射円偏光のヘリシティを保存します (図2(d))。図2(e)に示すシリコンナノ粒子コロイド溶液では、波長680 nm付近でヘリシティ密度が理論値0.96、実験値0.7に達します。これは、ナノ粒子表面に円偏光近接場が形成されることを示しています。研究グループは、同様の測定を平均粒径114~179 nmのシリコンナノ粒子に対して実施し、波長550~750 nmの領域で、入射円偏光のヘリシティ保存が可能である事を実証しました。
今後の展開
円偏光の近接場では、キラル分子と光の相互作用を増大することができます。これにより、キラル分子の円二色性が増強され、高感度な検出?分析が可能になるだけでなく、光不斉反応の効率を高めることで、製薬分野への応用も期待できます。また、開発したナノ粒子溶液は光の偏光状態を制御できる新しい液体としての利用が期待できます。
用語解説
※1Mie共鳴
1908年にGustav Mieによりに厳密解が導かれた波長程度の大きさの球形の粒子による光の散乱現象のうち、高屈折率誘電体に見られる共鳴的な散乱現象。入射電場に応答する電気的な共鳴と入射磁場に応答する磁気的な共鳴がある。粒子サイズによって共鳴波長を制御できる。
※2局在表面プラズモン共鳴
金属ナノ構造体による光学的な共鳴現象で、金属中の自由電子の集団的振動を起源とする。主に入射電場に応答する電気的な共鳴が見られる。
※3アキラル
実像と鏡像を重ね合わすことができない「キラル」な性質 (キラリティ) に対して、実像と鏡像を重ね合わすことができるという性質。
※4Kerker条件
電気双極子共鳴と磁気双極子共鳴の双極子モーメントの大きさと位相が一致する条件 (波長)。
謝辞
本研究は、科学技術振興機構 (JST) 創発的研究支援事業 (JPMJFR213L) (代表:杉本 泰) および日本学術振興会 科学研究費補助金 挑戦的研究 (萌芽) (22K18949) (代表:藤井 稔) などの支援を受けて行われました。
論文情報
タイトル
DOI
10.1021/acs.nanolett.3c01026
著者
Hidemasa Negoro, Hiroshi Sugimoto, Minoru Fujii
掲載誌
Nano Letters