東京工業大学 理学院 化学系の石川忠彦助教と腰原伸也教授、神戸大学 大学院理学研究科の高橋一志准教授、筑波大学数理物質系の羽田真毅准教授、ヨーロピアンXFEL(ドイツ)のイーファン?ジアン研究員、トロント大学(カナダ)のドウェイン?ミラー教授らの研究チームは、鉄錯体とニッケル錯体から成る複合機能性金属錯体結晶を光照射した際に、1兆分の1秒以下で起こる光吸収した鉄錯体分子の速い構造変化が、分子間相互作用の一種としてその重要性が議論となっているハロゲン結合(用語1)を媒介してニッケル錯体分子の配列変化につながっていく機構を明らかにした。

分子の集合体である分子性結晶や生体分子などの示す特性には、共有結合や配位結合のような強い分子内結合に加えて弱い分子間相互作用の理解が必要である。今回の研究では、極短時間光パルスと極短時間電子線パルスを用いた時間分解測定法(用語2)に加えて、量子化学計算(用語3)も併用し、光励起で結晶の構造が変化する過程でのハロゲン結合の役割が明らかとなった。今後、さまざまな分子の集合体が示す機能に対して分子間相互作用の働きを理解するきっかけになると期待される。

本研究成果は、6月4日(現地時間)付の「Nature Communications」に掲載される。

要点

  • 複合機能性金属錯体結晶で起こる光誘起構造変化ダイナミクスとそのメカニズムを明らかにした。
  • 極短時間光パルスと電子線パルスを用いた時間分解測定と量子化学計算を組み合わせ、サブピコ秒時間分解能での結晶構造および電子密度分布変化を調べた。
  • 分子の集合体における分子間相互作用の果たす役割を理解する手がかりとなった。
図 :観測した光誘起ダイナミクスの模式図 光励起された[Fe(Iqsal)2]+カチオンが膨張し、ハロゲン結合を介して[Ni(dmit)2]?アニオンの配列変化を引き起こしている。

 

背景

分子性結晶の電気伝導性や磁性、誘電性などの性質は、結晶中で分子がどのように配列しているかに大きく依存する。電気伝導性を例に取ると、同一の構成分子および組成からなる結晶でも分子配列の違いにより、金属や絶縁体、さらには低温で超伝導体になるものまで知られている。結晶中での分子配列は、弱い分子間相互作用により決まるため、共有結合や配位結合のような強い分子内結合の理解に加えて、弱い分子間相互作用にも目を向けることが重要である。

本研究で着目したハロゲン結合は弱い分子間相互作用の一種であり、ハロゲン原子の結合軸方向に存在するσホール(用語4)と呼ばれる周囲と比較し電子密度の低い部分と孤立電子対を持つ原子のような電子密度の高い部分との間で働く。非共有性で方向性を持つ分子間相互作用であることから、水やDNAなどの性質を担う水素結合との類似性が指摘されている。

本研究の対象物質である[Fe(Iqsal)2][Ni(dmit)2]·CH3CN·H2O [Iqsal = 5-iodo-N-(8’-quinolyl)- salicylaldiminate, dmit = 1,3-dithiole-2-thione-4,5-dithiolate]は、スピンクロスオーバー(SCO)現象(用語5)を示す鉄(III)錯体カチオン[Fe(Iqsal)2]+(図1a左)と一つの不対電子を持つ常磁性ニッケル錯体アニオン[Ni(dmit)2]? (図1a右)との間にハロゲン結合が認められる複合機能性金属錯体結晶であり、神戸大学の高橋一志准教授によって開発された。 [Fe(Iqsal)2]+カチオンのSCO現象と[Ni(dmit)2]?アニオンの二量体の常磁性–スピン一重項(用語6)変化は、同時に約150 Kで相転移として起こることが明らかにされており、両者をつなぐ機構としてのハロゲン結合の重要性が指摘されていた。

また、SCO現象は光照射でも起こり、光誘起励起スピン状態捕捉効果と呼ばれている。本研究の対象物質についても、80 K以下で光照射すると、[Fe(Iqsal)2]+カチオンの準安定高スピン状態の出現を示唆する磁化率の増大が報告されている。一方、この光による準安定状態において、温度変化による相転移と同様に [Ni(dmit)2]?アニオンの二量体の磁性変化が起きているか、ハロゲン結合が存在し続けているのかという点については明らかではなかった。

研究成果

本研究では、鉄錯体とニッケル錯体から成る複合機能性金属錯体の良質の単結晶試料を用い、低温相において[Fe(Iqsal)2]+カチオンの分子内電子遷移(用語7)を選択的に励起した。この際に起こる光誘起ダイナミクス(用語8)を、紫外可視光、赤外光、電子線の3種類のサブピコ秒(ピコ秒:10-12秒=1兆分の1秒)時間分解能を持つ時間分解測定法を駆使して測定した(図1b)。更に時間分解電子線回折測定から得られたモデル構造の時間依存性を基に量子化学計算を行い、電子密度分布の位相幾何学的解析(用語9)からハロゲン結合の相互作用エネルギーの時間変化を求めた。これらを検討し、結晶および分子構造の時間変化と各遅延時間におけるエネルギー伝達の経路や機構等を明らかにした。

可視紫外域の時間分解吸収分光により、光励起後瞬時に[Fe(Iqsal)2]+カチオンのSCO現象が起き、その変化の時間スケールは初期緩和過程も含めて別の鉄(III)錯体結晶での報告されていた内容と良くあっていることが分かった。加えて、それらの報告には無い10ピコ秒より遅い時間スケールのダイナミクスも存在していた。この想定外の遅いダイナミクスは赤外域の時間分解分光により [Ni(dmit)2]?アニオンの状態変化に対応していることが分かり、[Fe(Iqsal)2]+カチオンの光誘起SCOに引き続いて、結晶内で隣接する[Ni(dmit)2]?アニオンの配列変化が起きることが示唆された。

これらの測定結果を受けて、時間分解電子線回折測定を行った。[Fe(Iqsal)2]+カチオンのSCO現象と[Ni(dmit)2]?アニオン二量体の常磁性–スピン一重項変化はそれぞれ、図2a.に示した二つの構造パラメータである[Fe(Iqsal)2]+カチオンの体積膨張(pSCO)と[Ni(dmit)2]?二量体を組むアニオン間の分子長軸方向へのずれ(pdmit)を伴う。得られた回折像を、これらの二つの構造パラメータで表されるモデル構造で再現することを試みた。回折像を再現したモデル構造について、代表的な原子間距離の時間依存性を評価したのが図2b.およびc.である。光励起前は低温相であり、[Fe(Iqsal)2]+カチオンは低スピン状態で体積は小さくなる。このとき、[Ni(dmit)2]?アニオンは強く二量化しており、スピン一重項状態である。励起光照射直後に数ピコ秒かけて[Fe(Iqsal)2]+カチオンの体積膨張が見られ、100ピコ秒までそれが保たれる(図2b.)。変化が終了した時の鉄と隣接原子間の平均距離は、ほぼ高温相の長さと等しく、数ピコ秒以内に[Fe(Iqsal)2]+カチオンのSCOが起き高スピン状態になったことを示す。この[Fe(Iqsal)2]+カチオンの体積膨張が起こる時間域(0?約8ピコ秒)では、図2c.にあるように[Ni(dmit)2]?アニオンの配列はほぼ変わらない。この構造は光照射無しには実現しない平衡状態では隠れていた準安定状態である。その後[Ni(dmit)2]?アニオンの配列は、約10ピコ秒後から数十ピコ秒かけてゆっくりと高温相の配列に近づく。従って、[Ni(dmit)2]?アニオンの二量化が弱まっていることが分かり、[Ni(dmit)2]?アニオンの二量体の磁性変化が起きていることが示唆される。

図1:a.対象試料結晶を構成する[Fe(Iqsal)2]+カチオンと[Ni(dmit)2]?アニオンの分子構造。b.今回行った測定の概念図。励起光パルスで光励起することで発生した光誘起状態の性質を、励起光パルスと時間同期の取れた探索光パルスもしくは電子線パルスを用いて調べた。

得られたモデル構造をもとに量子化学計算により電子密度分布の遅延時間依存性を評価したところ、この一連の緩和過程において、[Fe(Iqsal)2]+カチオンと[Ni(dmit)2]?アニオンとの間には常にハロゲン結合が存在していることが分かった。従って、このハロゲン結合を介して、[Fe(Iqsal)2]+カチオンの体積膨張により生じた[Ni(dmit)2]?アニオンとの間の構造的なゆがみが解消され、かつ[Fe(Iqsal)2]+カチオンの持つ余剰エネルギーが振動エネルギーとして[Ni(dmit)2]?アニオン二量体へと伝達することにより、[Ni(dmit)2]?アニオンの二量化を弱めるような分子移動が起きたものと考えられる。

図2:時間分解電子線回折で得られた光励起に伴う構造変化の様子。 a.想定した構造変化パラメータの定義。左側の分子が[Fe(Iqsal)2]+カチオン。右側の分子が[Ni(dmit)2]?アニオン。b., c.解析によって得られたモデル構造内の特定の原子間距離の時間発展の様子。

社会的インパクト

分子間相互作用は、固体のみならず、例えば光合成を起こす葉緑素のような分子集合体でのエネルギー移動や、DNAなどの遺伝子情報の伝達など、さまざまな場面で重要である。今回の成果は、そのようなメカニズムにおける分子間相互作用の役割についての知見を与える。

また、今回調べた逐次的な光誘起構造変化ダイナミクスでは、[Fe(Iqsal)2]+カチオンは光に応答するスイッチとなり、分子間相互作用を介して[Ni(dmit)2]?アニオンの配列変化による物性変化(スピン一重項→常磁性変化)を引き起こしたもの、とみることが出来る。[Ni(dmit)2]?アニオンを別の機能性を担う分子に置き換えることで、新しいさまざまな光機能性材料を開発する糸口になることが期待される。

今後の展開

今回用いた時間分解電子線回折法と時間分解分光法の相補的利用は、マクロ(固体)およびミクロ(分子)な構造物性と電子物性の光誘起ダイナミクスを多角的な視点で明らかに出来る相性の良い組み合わせで、今後もさまざまな系を対象として研究を進めていきたいと考えている。

本研究の対象物質は、ハロゲン結合を介して二種類の金属錯体が相互作用した系だが、別の分子間相互作用を持つ系ではどのような光誘起ダイナミクスが起こるのか検証することは機構解明の目的で興味深いと考える。

付記

本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(JP18H05208, JP19K05402, JP21K03427)などの支援を受けて行われた。

用語説明

(1)ハロゲン結合

ハロゲン原子(ここでは[Fe(Iqsal)2]+カチオン中のヨウ素原子)のσホール(用語説明4)と他の原子(ここでは[Ni(dmit)2]?アニオン中の硫黄原子)の間に働く引力的な分子間相互作用。

(2)時間分解測定法

物理量の時間変化を時々刻々測定する方法。本研究では、試料を励起する高強度短時間幅パルス光と、物性測定をするための短時間幅パルス光もしくは短時間幅パルス電子線を用いたポンププローブ型の時間分解測定法を用いた。

(3)量子化学計算

量子力学の基礎方程式であるシュレディンガー方程式を数値的に解くことにより、原子や分子の構造や性質、反応性を解析する手法。

(4)σホール

ハロゲン原子の炭素―ハロゲン結合の結合軸の延長上に存在する電子密度が低い領域を指す。

(5)スピンクロスオーバー現象

原子や分子の持つ磁気的な性質は、内部に存在する電子スピンの配置の仕方で決まる。遷移金属元素を中心とした金属錯体においては、同じ向きのスピン数を最大化した高スピン状態と最小化した低スピン状態の二つの安定なスピン配置が存在する場合がある。外場変化(温度、圧力、光など)に応じてこの二つのスピン状態間を入れ変わる現象を指す。

(6)スピン一重項

二つの電子スピン間に相関がある時に、互いのスピンの向きを反平行にそろえた状態をスピン一重項と呼ぶ。

(7)分子内電子遷移

結晶を構成する分子の電子構造は、ある程度孤立分子の電子構造を保つ。孤立分子内の分子軌道間の電子遷移とみなせるものを指す。

(8)光誘起ダイナミクス

励起光照射をきっかけとして結晶や分子の状態変化が起こる場合に、その状態変化の時間依存性を指す。

(9)位相幾何学的解析

原子周辺の電子密度分布の位相幾何学的特徴を解析する方法で、結合や相互作用の有無の判断やエネルギーの評価を行うことができる。

論文情報

タイトル

Direct observation of photoinduced sequential spin transition in a halogen-bonded hybrid system by complementary ultrafast optical and electron probes

DOI

10.1038/s41467-024-48529-1

著者

Yifeng Jiang, Stuart Hayes, Simon Bittmann, Antoine Sarracini, Lai Chung Liu, Henrike M. Müller-Werkmeister, Atsuhiro Miyawaki, Masaki Hada, Shinnosuke Nakano, Ryoya Takahashi, Samiran Banu, Shin-ya Koshihara, Kazuyuki Takahashi, Tadahiko Ishikawa, and R. J. Dwayne Miller

掲載誌

Nature Communications

研究者

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