中濱直之 (兵庫県立大学自然?環境科学研究所准教授 兼 兵庫県立人と自然の博物館主任研究員)、小長谷達郎 (奈良教育大学理科教育講座准教授)、上田昇平 (大阪公立大学大学院農学研究科准教授)、平井規央 (大阪公立大学大学院農学研究科教授)、矢後勝也 (東京大学総合研究博物館講師)、矢井田友暉 (神戸大学大学院人間発達環境学研究科大学院生)、丑丸敦史 (神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授)、井鷺裕司 (京都大学大学院農学研究科教授)らの研究グループは、国内で最も絶滅リスクの高いチョウであるオガサワラシジミの繁殖途絶の原因を解明しました。
オガサワラシジミは、小笠原諸島にのみ分布する日本固有のチョウです。小笠原では元々多数の個体が生息していましたが、グリーンアノールによる捕食などの外来生物の影響により、近年大きく数を減らしており、環境省レッドリストで絶滅危惧IA類、種の保存法で国内希少野生動植物種に指定されています。2016年より多摩動物公園などで生息域外保全が開始されたものの、野生環境では2020年を最後に生きた個体が確認されておらず、生息域外保全も2020年に繁殖途絶をしてしまっています。現在は生きた個体が確認されていないことから、国内で最も絶滅の可能性の高いチョウと言われております。
本研究では、オガサワラシジミが繁殖途絶に至った経緯を集団遺伝学的な背景から明らかにしました。遺伝的解析の結果、本種は生息域外保全の世代を重ねるにつれて近親交配が進むとともに遺伝的多様性が急速に減少しており、それに伴って有核精子数や孵化率が顕著に減少していました。こうした近親交配に伴う遺伝的多様性の低下によって繁殖成功が低下することは「近交弱勢」と呼ばれます。本種は生息域外保全の過程で近交弱勢が生じた結果、繁殖途絶に至ったと結論付けられました。本研究は、各世代の遺伝情報と繁殖形質の情報を組み合わせて近交弱勢を実証した重要な成果と言えます。また、本種の繁殖途絶の過程の原因が究明できたことで、他の絶滅危惧種の生息域外保全の際に、近交弱勢を引き起こさないための方針策定ができると期待されます。本研究成果は 2024 年 7月12 日0時 (日本時間) に、国際科学誌「Biological Conservation」の電子版に掲載されました。
背景
国内の絶滅危惧種のうち、特に絶滅の危険が大きい野生生物は、種の保存法によって国内希少野生動植物種に指定され、保全のために必要な措置が講じられます。オガサワラシジミは小笠原諸島に分布していた日本固有種で、元々生息地ではふつうにみられる種でした。しかし、北米原産のグリーンアノールによる捕食やアカギなどの外来植物の被陰による幼虫の食樹の成長不全により大きく数を減らし、環境省レッドリストでは絶滅危惧IA類、また種の保存法においても国内希少野生動植物種に指定されました。2009年から保護増殖事業が開始され、生息域外保全 (飼育環境で個体を維持すること) 技術開発のために採集された交尾済みの2メスから継代飼育が成功するなどの成果もありました。この2メスを創始個体として、2016年から継代飼育が開始されていました。その後近親交配を避けるために、野生集団から追加個体を得る予定でしたが、環境省による2020年の「令和2年度小笠原国立公園 母島 新夕日ヶ丘自然再生区保全調査業務」のモニタリング調査により目視で確認された個体を最後に、残念ながら野生環境で個体が見つからなくなってしまいました。新宿御苑でも分散飼育が開始されましたが、継代飼育開始からおよそ20世代が経過した2020年に、どちらも繁殖途絶により生息域外保全個体が全滅してしまいました。そのため、2024年現在、生きた個体が確認されていないことから、オガサワラシジミは日本で最も絶滅リスクの高いチョウと言えます。繁殖途絶した当時から、近親交配による遺伝的多様性の減少が要因として挙げられていたものの、その詳細な原因は不明でした。
そこで本研究では、同じような悲劇を繰り返さないためにもオガサワラシジミの繁殖途絶の原因を解明し、さらに今後の絶滅危惧種の生息域外保全に役立つ提言をするために研究を行いました。
研究の内容
方法
本研究では、MIG-seq法という手法を用いて、オガサワラシジミのゲノムのうち遺伝的変異の大きい箇所を選択的に抽出して遺伝的解析をしました。2001-2020年に確保された野生及び飼育個体を解析に使用し、遺伝的多様性の時間的な変化を明らかにしました。さらに、多摩動物公園で飼育されていたサンプルについては、繁殖形質としてオスの精子数や生殖器の形状なども調べています。最後に、オガサワラシジミの遺伝的多様性が高かった2015年以前の遺伝的多様性を維持するためには、何個体を創始個体とすべきだったのかについても計算しています。
結果及び考察
遺伝的解析の結果、2015年以前は遺伝的多様性の減少傾向がさほど顕著でなかったものの、継代飼育が開始された2016年以降は世代を追うごとに遺伝的多様性の減少が進行し、繁殖途絶直前の19世代目では遺伝的多様性は飼育開始当初の約2割程度にまで減少していました。また、遺伝的多様性の減少に伴い、精子数も同様に減少していました。さらに遺伝的多様性の高かった継代飼育開始当初は80%以上の卵が孵化していましたが、遺伝的多様性の減少した19世代目では卵の孵化率は10%以下にまで減少していました。生物は、もともと生存や繁殖に悪影響を及ぼす突然変異 (有害突然変異) を多数持っています。集団が健全であれば問題ないのですが、近親交配が進行して遺伝的多様性が減少するとそれが発現し、繁殖形質に悪影響を及ぼすことがよく知られています (近交弱勢)。オガサワラシジミにおいても近交弱勢が生じ、繁殖途絶に至ったと結論付けられました。
それでは、本来何個体を生息域外保全の創始個体に使用するべきだったのでしょうか。2015年以前の遺伝的多様性の97.5%を保持するには、少なくとも26個体を創始個体とすべきだったと計算できました。オガサワラシジミのケースではもともと飼育技術開発のために得られた個体が創始個体となっていたことや、野外で個体が見つからなくなり、野生個体の補強 (継代飼育群に別の個体を新たに加えること)ができなくなったなどの不運が重なり、遺伝的多様性の確保に十分な個体を得ることができなかったと考えられます。
波及効果
近交弱勢による集団の繁殖途絶は以前からよく研究がされてきましたが、それらの多くはシミュレーションや理論に基づいたものでした。本研究は、絶滅危惧種が繁殖途絶に至った集団遺伝学的な背景を明らかにした、国内では非常に貴重な事例と言えます。過去のサンプルが保管されていたことから、遺伝的多様性の時間的変化を追うことができたことも、非常に重要な成果と言えます。
また本研究は、絶滅危惧種の遺伝的多様性の維持の重要性を改めて浮き彫りにするものです。残念ながら、絶滅危惧種の遺伝情報の獲得は費用や設備、手間などのコストが大きいことから、まだまだ研究事例が少ない状況にあります。今後はより多くの絶滅危惧種について、遺伝的多様性を明らかにし、それらを減少させないような保全方針を確立することで、オガサワラシジミの繁殖途絶のような悲劇を回避することが期待できます。
謝辞
本研究は、環境省?(独)環境再生保全機構の環境研究総合推進費(JPMEERF20224M02及びJPMEERF20214R01)及び日本学術振興会学術研究助成基金助成金若手研究(19K15856)により実施しました。この場をお借りして御礼申し上げます。
共同研究者
中濱直之 (兵庫県立大学自然?環境科学研究所准教授 兼 兵庫県立人と自然の博物館主任研究員)、小長谷達郎 (奈良教育大学理科教育講座准教授)、上田昇平 (大阪公立大学大学院農学研究科准教授)、平井規央 (大阪公立大学大学院農学研究科教授)、矢後勝也 (東京大学総合研究博物館講師)、矢井田友暉 (神戸大学大学院人間発達環境学研究科大学院生)、丑丸敦史 (神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授)、井鷺裕司 (京都大学大学院農学研究科教授)
論文情報
タイトル
"Road to extinction: archival samples unveiled the process of inbreeding depression during
artificial breeding in an almost extinct butterfly species"
(和訳: 繁殖途絶への道。過去のサンプルにより、ほとんど絶滅状態のチョウの飼育集団における近交弱勢の過程が明らかとなった。)
DOI
10.1016/j.biocon.2024.110686
著者
Naoyuki Nakahama, Tatsuro Konagaya, Shouhei Ueda, Norio Hirai, Masaya Yago, Yuki A. Yaida, Atushi Ushimaru, Yuji Isagi
中濱直之 (兵庫県立大学自然?環境科学研究所准教授 兼 兵庫県立人と自然の博物館主任研究員)、小長谷達郎 (奈良教育大学理科教育講座准教授)、上田昇平 (大阪公立大学大学院農学研究科准教授)、平井規央 (大阪公立大学大学院農学研究科教授)、矢後勝也 (東京大学総合研究博物館講師)、矢井田友暉 (神戸大学大学院人間発達環境学研究科大学院生)、丑丸敦史 (神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授)、井鷺裕司 (京都大学大学院農学研究科教授)
掲載誌
Biological Conservation