「ボランティア元年」といわれた阪神?淡路大震災から30年。被災地の復旧?復興にボランティアがかかわることは、今や当たり前の光景となった。一方、2024年に発生した能登半島地震では、ボランティアの活動を行政が制限するような動きも見られるなど、さまざまな課題が指摘されている。被災地でボランティアが果たす役割とは何なのか。「コミュニティ?エンパワメント」をキーワードに研究、実践を続ける人間発達環境学研究科の松岡広路教授(社会教育学)に聞いた。
阪神?淡路大震災後、さまざまな被災地でボランティアへのヒアリングを続けてこられました。そこで感じたことは?
松岡教授:
神戸大学に赴任したのは、阪神?淡路大震災翌年の1996年です。神戸の復興プロセスでボランティアが果たす役割に視点を置き、活動している人々から多くのことを学ばせてもらってきました。
阪神?淡路の被災地は、一言でいうと「にぎやか」でした。神戸に身を置きたい、という多くの人がやって来ました。被災者の方々は心の奥にさまざまな思いを抱えていたと思いますが、多くのボランティアの姿には希望が感じられました。
しかし、1998年に特定非営利活動促進法(NPO法)が施行されたころから、NPOという組織の維持に重点を置く動きが広がりました。NPOが行政?企業と連携し、資金を集めることに力を入れ、ウィン?ウィンの関係になることを求めるようになりました。
ボランティアは「もろさ」でつながっている存在です。一人一人は足りないところがあるけれど、互いに弱い部分を補い合い、ネットワーキングで動く。阪神?淡路の際はそのネットワーキングが大切にされました。一方、組織を重視するようになると、一人一人の強みばかりが求められ、何らかのスキルを持っている人しか参加できなくなってしまいます。
ボランティアは「自分は何ができるか分からないけれど、被災地のことが心配だ」というような気持ちが大切なのであって、質を問うものではないと思います。
被災地復興に欠かせない地域のエンパワメント
東日本大震災の被災地にも通い続けていますね。
松岡教授:
岩手県大船渡市の赤崎(あかさき)という地区にかかわり続けてきました。震災後、人間発達環境学研究科のヒューマン?コミュニティ創成研究センターを拠点に、学生を中心とする「大船渡支援ワークキャンプ?プロジェクト」が発足し、その後、名称を変えながら活動してきました。現在は「ESD(Education for Sustainable Development=持続可能な開発のための教育)プラットフォームWILL」という組織の中の活動となり、学内外のさまざまな人が参加しています。
具体的な活動としては、震災翌年に人間発達環境学研究科と赤崎地区公民館が相互協力の覚書を取り交わし、公民館を復興拠点とする取り組みを始めました。地区の復興を考える基礎として、住民の生活状況や課題、希望などを聞く悉皆(しっかい)調査を計画し、その調査票の項目自体を住民自身に考えてもらう方法で行いました。研究者が研究のために行うものではなく、住民主体の調査です。最初の調査はなんと、回答率が100パーセントでした。
その後、情報共有のワークショップや復興を考える小地域ミーティング、まちの未来予想図をジオラマで作る試み、出店やイベントを楽しむ「赤崎復興市」など、住民と一緒にさまざまな活動を行ってきました。
こうした取り組みは、地域が自らの力を取り戻していく「コミュニティ?エンパワメント」を進めるためのツールであり、復興市などは別の地域に移り住んだ人も参加できる場として重要でした。
私たちが考える「地域」は大きなものではなく、古くからある「字」などの単位の小地域です。そうした小集団が力をつけ、自らの地域づくりの権限を取り戻し、発言していくことが、復興のプロセスには不可欠だと考えています。
ただ、小集団の中だけで議論すると、アイデアが枯渇したり、強い人の意見に流されたりすることもあります。そういう時、集団の周辺部に置かれやすいマイノリティーの人々を包摂しつつ、外からかかわっていけるのがボランティアだと思います。地域の中で人間関係に溝が生じている場合には、ボランティアを介してつながっていける可能性もあります。
赤崎地区では、私たちが通い始めたころに小学生だった地元の若者が、成人して一緒に活動してくれることもあります。こういうつながりが地域のエンパワメントになっていると思います。
2024年1月に発生した能登半島地震の被災地では、石川県のボランティア対応の課題が指摘され、過去の災害と比べて活動者の少なさも目立っています。
松岡教授:
能登半島地震の被災地もそうですが、人々の葛藤や混乱をマイナスと捉えてしまう傾向が問題だと思います。専門的なスキルや資金などの資源を持つ団体を優先しすぎて、多様な個人が集まる「集(しゅう)の力」を軽視しているようにみえます。
一人一人が「私には力がない」と思っていても、それが「私たち」という集まりになった時、大きな力が生まれます。阪神?淡路大震災の時もそうでした。被災地で活動したいという「衝動性」を否定し、ニーズに対応するボランティアのコーディネートばかりに力を注ぐ現状は考え直すべきだと思います。被災地に入ってきたボランティアを新しい「若衆」と捉え、縁を作り上げていけば、長い目で見た時、地域のエンパワメントにつながるはずです。
「ESDプラットフォームWILL」でも、能登半島地震の被災地支援に取り組んでいます。大学を拠点とする活動は、資金確保や外聞にあまり縛られない点がメリットです。「WILL」では能登半島支援の活動を「ばんそう(伴走?伴奏?絆創)プロジェクト」と名付けており、学生が地域に入り続けていくことでさまざまな縁が生まれていくと思います。それは「関係人口」の増加であり、学生にとっては「もうひとつの故郷」のような場が生まれる機会にもなるでしょう。
能登半島の被災地には今、だれもが参加できるボランティア拠点がいくつかできています。学生のボランティアは、その灯を消さないように、薪をどんどん運ぶ存在になればいいと思っています。学生たちには「一度は能登の被災地に行って、地元の人と話をしてほしい」と伝えています。半ば観光の訪問でもいいんです。実際に話すことで、被災地に対する思い込みを崩す体験をしてほしいものです。
「当事者性の交差」による新たな可能性の発見
専門分野である社会教育の視点から、防災?減災教育の現状、課題についてはどう考えますか。
松岡教授:
今は学校教育が中心になっていますが、コミュニティの中で生み出す防災?減災教育が必要ではないかと思います。公民館などの社会教育施設のネットワークを普段から活性化させていくことも重要だと思います。
現在の防災?減災教育は、個人の心構えや防災意識に焦点が当てられる傾向があります。しかし、小さな地域同士の連携や、集団が支援し合う仕組みをもっと考えていく必要があります。これからは集団で防災?減災を生み出していく時代になると思います。
ボランティアが一人ではできないように、私たちは他の人に助けてもらう癖をつけておくべきです。その癖をつけておけば、個々人の負担を減らすことができ、他者への感謝も生まれるでしょう。
あらためて、ボランティアの意義について考えを聞かせてください。
松岡教授:
人はだれでも「複数の当事者性」を持っています。「自分はこういう人間だ」と思っていても、実は本人も気づいていない面があります。例えば障害のある人は、障害者という当事者性だけではなく、ほかにもさまざまな面を持っていますよね。
ボランティアの魅力は、多様な人との出会いによって、さまざまな当事者性が交差し、自分の新たな可能性を発見できることです。人生の道筋を見出すこともあると思います。「集の力」の大きさに気づくこともできるでしょう。これは、一方的に知識を受け入れる学びとは違います。
ですから、ボランティアのプログラムは一元的ではなく、多元的、分散的であることが望ましいと思います。「ESDプラットフォームWILL」も災害復興支援だけでなく、ハンセン病療養所や農村地域での活動、地域の居場所づくりなど、さまざまなプロジェクトに取り組んでいます。それぞれの活動のネットワーキングによって、当事者性の交差の可能性が広がり、より大きな力が生まれると考えています。
松岡広路教授 略歴
1996年、東京大学大学院教育学研究科博士課程単位修得退学後、神戸大学発達科学部講師。1998年、神戸大学発達科学部助教授。2008年、神戸大学人間発達環境学研究科教授。日本福祉教育?ボランティア学習学会会長などを歴任。日本社会教育学会理事。