防災対策の精緻化、効率化を図るためには、災害による被害をより正確に予測し、分かりやすく伝えることが求められる。そこで期待されているのが、計算科学(シミュレーション)と情報技術の活用だ。都市安全研究センターの大石哲教授(社会基盤、水工学)は「災害対応の社会変革」を掲げ、防災デジタルツインの構築に取り組んでいる。防災デジタルツインによって何が可能になるのか、防災対策にどのように貢献できるのか。大石教授に話を聞いた。
都市の安全を高めるために情報技術はどのように活用されているのでしょうか。
大石教授:
内閣府の総合科学技術?イノベーション会議が、社会的課題の解決や日本経済?産業競争力にとって重要な課題を設定する戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)の一つに「スマート防災ネットワークの構築」が挙げられ、5つの課題が採択されています。その中でもSIPの第1期(2014年~2018年)から取り組まれているのが「災害実動機関における組織横断の情報共有?活用」です。そこでは、災害直後に内閣府や自衛隊、消防庁、国土交通省などがおのおの集めた情報を横断的に共有し、迅速な人命捜索?救助、早期復旧等を実現する仕組みの構築に取り組んでおり、一部実用化されたところです。そういう意味では、防災情報技術の活用はまだ緒についたばかりだと言えます。
全体最適を実現するための迅速な情報共有が必要
阪神?淡路大震災が発生した1995年はインターネットの黎明期でした。
大石教授:
阪神?淡路大震災の時は、現地の全体状況をつかめる情報が首相官邸に届くまで半日以上を要し、それが復旧対応の判断を遅らせることになりました。私は当時、京都大学防災研究所で水に関する災害の研究に従事しており、そうした状況を見ていて、全体状況を迅速に把握し、それをふまえて系統だった指揮命令を出すことができなければ救える命も救えないと思ったことが、その後の研究の原点になりました。
1990年代半ばからダム反対論が台頭し、新たにダムを建設することが難しくなっていく中で、わたしが所属していた研究グループは既存のダムを活用し、天気予報の情報をもとに降水前にはダムの水位を減らし降水時には貯められるようにする治水の考え方を提案しました。当時は河川法の縛りがあって天気予報に合わせた水位の調整はできず、学界からも厳しい批判を受けましたが、その後わたしたちの考えた手法が「流域治水」として現実に国の施策になりました。全体の状況を把握したうえで最大限できることをしようとする考え方はいつか評価されると感じ、神戸大学に着任してからは災害の対象をダムや河川だけでなく、地震や津波、高潮といった分野にまで広げていきました。
知りたい結果を自動的に導き出し、地図上で再現
現在、取り組んでいる防災デジタルツインの技術がどのようなものか教えてください。
大石教授:
防災デジタルツインとは、現実にある建築物や自然地形などをデジタル空間上にそのまま再現し、そこでさまざまなシミュレーションを行えるようにする手法です。その中でもわたしたちは巨大化?複雑化?多様化する災害への対応力向上の実現を目指しています。
具体的には、公的な情報から一つひとつの建物の構造や耐震化の状況、時間帯ごとの交通量、昼夜間人口など大量のデータを取り込んでクラウド上にため込んでおきます。そして、地震や津波、高潮などが発生した時にどのような被害が起こるかなど、それぞれが知りたい情報があれば、膨大なクラウドデータの中から自動的に必要な情報を選び出して計算し、結果を導き出し、デジタルツイン上で再現します。
従来は、ある結果を知りたい場合、自分で必要な情報を集めてきてプログラムを組んで計算結果を出していたのですが、デジタルツインでは知りたいことがあれば計算に必要な情報を自動的に導き出せるプログラムを組んでいます。手入力に頼っていた情報の入力作業についても、活字情報から必要な情報を自動的に抜き出せるようにすることで大幅に効率化しました。
計算によってどのような結果を導き出すことができるのでしょうか。
大石教授:
地震波の加速度情報を入力することで、その街全体でどれだけの建物が倒壊するかを地図上で図示することができます。津波が押し寄せてくることによってどのエリアがどれくらい浸水するかといったことも3次元(3D)情報として把握できます。また、降水量ごとに、どのエリアでどれほど浸水するかを克明に知ることもできます。災害が起きた時に、どのエリアにどれくらい人が滞留するかといったことも導き出せます。
例えば大雨が降った場合、完全に水没してしまうエリアもあれば、被害が少ないエリアもあるということが分かります。流域の上流から下流に向かって水が流れるわけではないことも分かります。なぜなら、堤防や線路などの構造物によって流れが変わるからです。物理法則に沿って忖度なく客観的に結果を導き出せるところがデジタルツインの特長です。
防災、復旧対策の判断材料を提供するデジタルツイン
デジタルツインによって目指すところは何でしょうか。
大石教授:
2023年度から、わたしたちの研究はSIPの「スマート防災ネットワークの構築」の一課題に選定されました。そこで掲げる最終目標は「災害対応の社会変革」です。すなわち、災害が起きる前から、被害を最小限に抑えるためにどのような防災対策を取るべきか、そして、発災の6時間後には全容が把握できたとして、人とお金と物をどのように割り振れば最も早く復旧できるかを判断できる材料の提供を目標に据えています。
わたしたちはそのために3つのアウトプットを提供しようとしています。まず1つ目が「確率ハザードマップ」です。どれほどの地震でどれくらいの建物が倒壊するか、どれほどの雨が降ると何%のエリアが水没するかといった確率を導き出すことにより、高確率で被害が起こりそうなエリアで費用対効果のある施策を考えることができます。これについては地震、津波、高潮に関しておおよそできるようになっています。
2つ目が、アバターによる避難シミュレーションができる「ダイナミックハザードマップ」です。例えば、自分の住んでいる街で豪雨災害が発生したと想定し、降水量ごとにそのエリアの道路ごとの浸水状況を事前に把握することができるので、画面上のアバターを使ってどの道を選んで逃げればよいかをリアルに知ることができます。アバターは子ども、高齢者になることもできるので、子どもの足で避難にどれくらい時間がかかるかといったことも分かります。
3つ目が「マルチハザードマップ」です。これは複合災害を想定したハザードマップのことです。例えば、地震が起きると防波堤が破損してしまうことがあります。阪神?淡路大震災の時は高潮が起きるよりも前に破損した防波堤を仮復旧することができたのですが、仮に南海トラフ地震級の地震が起きた場合、破損範囲が広がるので仮復旧するのも難しいという事態が想定されます。そこでデジタルツインを活用して、どの防波堤がどれほど損傷を受け、高潮が襲ってきても耐えられる程度に修復するにはどのくらいの日数を要するかを算出できるようにしようと考えています。
「社会とどう折り合いをつけるか」も議論
今後の研究の課題は?
大石教授:
デジタルツイン上に出てくるシミュレーション結果をそのまま社会に公表すると、自分たちの住んでいるエリアの実態を知ることになり、混乱が起きます。また、自治体が優先順位をつけて費用対効果のある施策を始めようとすると、そこから取り残されるエリアの住民の反発が予想されます。そのあたりを含め、社会とどう折り合いをつけながら情報を伝えていくかが今後の重要なテーマの一つだと思っています。
デジタルツインのシミュレーション結果についてはすべての人が共有できるようにし、首長が防災に関する施策を示した時に、同じ情報を持ってオープンに議論ができるようにしたいと考えています。わたしたちはこれを「防災対策の民主化」と呼んでいます。
神戸大学には、人文社会科学、自然科学保健学、都市レジリエンス学などの5分野が共創して、安全?安心な生活空間、生活環境のグランドデザインを描く「未来世紀都市学研究アライアンス」という枠組みがあります。神戸大学ならではといえる取り組みであり、異なる分野であってもお互いが見える環境を生かして、社会との折り合いといった課題についても議論を重ねていきたいと考えています。
大石哲教授 略歴
1991年、京都大学工学部卒。93年、京都大学大学院工学研究科修了。98年、京都大学博士(工学)。気象予報士。京都大学防災研究所助手、山梨大学准教授を経て、2009年から神戸大学教授。2017年から理化学研究所計算科学研究センターチームリーダーを兼任。