桜井愛子教授

国際協力研究科の桜井愛子教授は、もともと国際協力の領域を専門にしながら、その後防災教育へと研究領域を広げてきたユニークな経歴を持つ。常に教育現場に軸足を置きながら、「子どもたちの命を預かる」防災教育のあり方を探究し、現場での実践?支援に携わってきた。その桜井教授に、阪神?淡路大震災、東日本大震災を経た防災教育の変化、それをどのように世界に発信していきたいかを聞いた。

防災教育に携わるようになったきっかけは?

桜井教授:

阪神?淡路大震災の時は、経済団体連合会(現?日本経済団体連合会)に就職して1年目で、何もできずにふがいなさを感じていました。その後、世界銀行を経て、開発コンサルティング会社などで国際開発の専門家として実務を担っていました。

2011年3月に起きた東日本大震災を契機に、国際NGOであるセーブ?ザ?チルドレン?ジャパン(SCJ)の復興支援活動に関わることになりました。全世界のセーブ?ザ?チルドレンから日本に集まった多額の募金を活用し、被災地の子どもたちに教育面でできることはないかと考え、現地の学校のニーズに応じたサポートを行いました。

当初は学校再開に向け、ランドセルや文房具、仮設住宅から学校への通学バスの提供などを行っていましたが、被災地の学校の復旧?復興のフェーズに合わせ、学習支援や部活動支援、奨学金事業へと徐々に内容も変わっていきました。

震災から1年くらいたつと、学校から防災教育に関するニーズが寄せられるようになりました。支援の内容を検討し、セーブ?ザ?チルドレンが蓄積してきた防災教育パッケージの活用も考えましたが、日本の現状に合わせることが難しく、東日本大震災の被災地の状況に合ったプログラムの必要性を感じました。

 

故郷に誇りを持ってもらう「復興マップ」づくり

防災教育プログラムの内容をどのように考えていったのでしょうか。

桜井教授:

「大震災後の防災教育を一緒に考えてほしい」と依頼があったのが宮城県石巻市でした。石巻市は、多くの児童が亡くなった大川小学校の対応に追われ、大変な時でしたが、将来を見据えた防災教育にも取り組んでいきたいという思いを聞き、お手伝いすることになりました。

新たに防災教育プログラムを開発するにあたり、過去の取り組みを継承しながら2011年の津波経験を加え、喪失を経験した子どもたちにとって復興期に必要な防災教育を進めていくには何が重要か、と考えました。現場の先生方の協力を得ながら、考えを共有する地震工学、地理学などの専門家らとチームを作って取り組んだのが「復興マップづくり」です。2012年から石巻市立鹿妻(かづま)小学校で始めた活動は、毎年4年生が取り組みました。

阪神?淡路大震災後の復興期に神戸市立板宿小学校が行なった学区のまち歩きやマップづくりにヒントを得ました。「防災まち歩き」では危険な場所を探すことが多いのですが、「復興マップづくり」ではまち歩きを通じ、津波サバイバーの子どもたちがどうすればポジティブに地域の復興を考えられるようになるか、学校の先生やスクール?カウンセラーと検討を重ねました。

例えば、津波で家が流され、がれきが取り除かれた後のさら地は、新しく家が建てられるようになった場所、すなわち「復興の準備」ができたところ、といった意味を持たせるようにしました。「復興マップづくり」では、自分たちの学区の復興がどのように進んでいるのかを、子どもたちが自らまち歩きを行いながら記録していきました。震災から7年後、小学生時代にマップづくりを経験した中学生へのアンケート調査を実施したところ、マップづくりに取り組んだ子どもたちはその活動を高く評価し、「自ら地域の復興のために役に立ちたい」という意欲が高まったことが分かりました。

鹿妻小学校での取り組みを皮切りに、「復興マップづくり」は石巻市の防災教育プログラム「復興?防災マップづくり」として市内小中学校に展開されていきました。パイロット活動を広域に展開していくことは、国際協力でも重要です。石巻市の経験からは、同じ津波というハザードでも学区ごとに地形や土地利用の違いなどがあって被災や復興の状況が異なること、防災教育として展開していくためには津波以外の洪水や土砂災害といったマルチハザードに対応していく必要があることなどを確認できました。

各地域の自然災害の特徴を考えた防災教育を広く展開していくために、「復興?防災マップづくり」は地形図やハザードマップなどを活用した学習へと進化していきました。子どもたちは、同じ学区の中でも津波の高さが違うのはどうしてだろうと疑問を持ち、海からの距離や標高、自然堤防などの地形によって変わってくることを学ぶようになっていきました。

 

教職員が防災情報を理解し、判断できるようになるサポートを

防災教育のあり方はその後、どのように変化していきましたか。

桜井教授:

東日本大震災が示した大きな課題の一つは、学校に児童や生徒がいる時間帯に自然災害のリスクが高まった場合、学校はいかにして子どもたちの命を守れるか、ということです。石巻市立大川小学校の津波訴訟判決では、学校には子どもを守る責務があるということが明記され、危機管理マニュアルの作成や避難訓練の実施、教員の災害対応力の向上を通じて学校が事前の備えを進めていかなければならないことが再確認されました。防災教育とは、子どもたちだけでなく学校の管理職や教職員、保護者や地域住民などへの教育も含まれます。

宮城県では震災後、全国に先駆けて学校防災の中核を担う教員である防災主任の制度を導入し、県内の学校に各1名配置しています。2019年からは石巻市内学校園の防災主任を対象に、学区の地形や災害リスクを地図を使って理解する研修を開始し、さらには児童生徒在校時の緊急避難を考える研修へと発展させていきました。学校周辺や学区において津波、洪水、土砂災害などの発生リスクが高まった場合、適切なタイミングで安全な場所への避難を判断できるようになることが、実効性の高い学校防災の実現につながると考えています。

 

防災教育の拠点である兵庫県、神戸市から世界へ

 

桜井愛子教授(神戸市灘区の神戸大学)

阪神?淡路大震災を経験した兵庫県、神戸市が防災教育の分野で果たした役割について、どのように考えていますか。

桜井教授:

国際的な防災教育発展の礎となったのは、阪神?淡路大震災を経験した兵庫県、神戸市の取り組みです。地震からいかに身を守るのか、災害直後の困難な時期をどう生き抜くのか、隣近所やコミュニティとのつながりをもとに復興をどう進めていくのか、大震災の経験を次世代にどう伝承していくのか。そういった要素がパッケージ化された防災教育が展開され、日本だけでなく世界へ発信されています。

自然災害後の学校再開を支援するための教職員のチームも、日本国内だけでなく世界各国に派遣されています。災害対応を行うNGOや国際機関も、兵庫県をベースに数多く活動しています。阪神?淡路大震災から30年をかけて積み上げてきた経験とノウハウは世界をリードしており、その役割は今後も継承されていくべきと考えています。

今後、防災教育分野でどのような役割を果たしていきたいですか。

桜井教授:

防災は学際的な分野で、例えば河川、土砂災害、地震、津波といったそれぞれのハザードごとに理学や工学などのさまざまな専門家がいます。災害情報や避難など、災害が社会に与えるインパクトや人間の行動を扱う人文?社会科学の分野の専門家もいます。

その中にあって、わたしはもともと途上国の教育開発が専門であったところに防災教育の研究?実践が加わったという経歴を生かし、その立場から果たせる役割があると思っています。まずは防災の専門分野を横断し、情報を発信する専門家や行政とその受け手の間の境界をなくして、双方向のコミュニケーションを促進することが重要だと思っています。特に、学校を中心とし、政策や計画と学校?地域での実践を包括的に捉える防災の取り組みを推進していきたいと考えています。

また、神戸大学大学院では、防災教育の専門家の育成に注力したいと考えています。日本人学生だけでなく留学生の教育にも力を入れていきたいと思います。留学生が、大切な人の命を守るための防災教育や災害への備えについて研究し、それぞれの国に成果を持ち帰って社会のレジリエンスを強化してもらうことができれば、と考えています。

 

桜井愛子教授 略歴

1994年、慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程修了後、経済団体連合会(経団連)、世界銀行などに勤務。神戸大学大学院国際協力研究科博士後期課程修了(学術博士)。セーブ?ザ?チルドレン?ジャパンなどを経て、2014年、東北大学災害科学国際研究所准教授、2020年から同研究所教授。2024年、神戸大学大学院国際協力研究科教授(東北大学災害科学国際研究所教授兼任)。 

研究者

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