長期記憶は脳の機能のひとつであり、学校や仕事という社会生活を送る上で重要な脳機能になります。これまでの研究では、運動をした後に記憶学習をすると記憶テストの成績が約1週間後まで向上することが示されていました。一方で、その効果がどれほど持続するのかについては不明でした。そのため、本研究では中強度の運動後に記憶学習をし、その後11ヶ月後までの記憶保持に対する影響を調査しました。

参加者は全員が「運動後に学習(運動条件)」もしくは「座位安静後に学習(安静条件)」という条件の中で、単語の記憶学習を行い、その後に単語思い出しテストを行いました。単語思い出しテストは、記憶学習の24時間後、4週間後、6週間後、8週間後、そして11ヶ月後に実施しました。単語思い出しテストの正答数は、24時間後では運動条件と安静条件間に差がみられず、4週間後ではわずかに運動条件での正答数が多かったものの統計学的な差は認められませんでした。しかし驚いたことに、6週間後と8週間後のテストでは、運動条件の正答数が安静条件よりも多くなりました(約10%増@6週間後、約8%増@8週間後)。ただし、11ヶ月後には条件間での差は消失していました。これらの結果は、記憶学習前に中強度の運動をすると少なくとも8週間は長期記憶が強化されることを示しています。

本研究は森田憲輝(北海道教育大学岩見沢校)、石原暢(神戸大学)、Charles Hillman(Northeastern University、USA)、紙上敬太(中京大学)の共同研究によって実施されました。研究論文はオーストラリアスポーツ医学会発行の「The Journal of Science and Medicine in Sport」誌にて2024年11月4日よりオンライン公開されています。

本研究の概要

ポイント

  • 運動が数日間の長期記憶を向上させるだけでなく、その効果がこれまでの予想を大きく上回って長期的に持続することが明らかとなりました。
  • 単語を覚える前に20分間の運動をすると、安静にしていた時よりも、6週間後と8週間後に実施した単語思い出しテストの正答数が約10%多くなりました。
  • 学習前の運動が8週間もの長期間にわたって長期記憶を向上させたこの結果は、長期記憶が必要な学習や作業の効率を高める手段として活用できる可能性があります。

 背景

ある時点で経験したことや学習したことなどの情報を数分から数十分、そして数年以上の期間保持する脳機能のことを長期記憶(エピソード記憶)と呼びます。しかし、長期記憶として記憶した情報は、時間と共に忘却していき、1ヶ月後では20%ほどしか残らないとされています。この結果は古く1885年にドイツの心理学者エビングハウスが示したものです(図1)。一方で、運動後に学習すると長期記憶が向上することが知られており、これまでの研究では1回の運動で最長1週間ほど長期記憶の向上が認められたことが示されています。しかし、これまでに学習前の運動による長期記憶向上の効果が、どのくらいの期間持続するのかについては検討されていませんでした。そこで今回は、学習前の運動による長期記憶向上の効果が、どのくらいの期間持続するのか研究を行いました。今回の研究によって、運動後の長期記憶向上に持続的な効果が示されれば、学校での学習や職場そして日常生活において運動の効果的な利用を勧めることができるのではないかと考えました。

図1.記憶した情報の時間経過による忘却?記憶保持の割合(図の出典:sakura394.jp)

研究手法

本研究の参加者は健康な大学生44名でした。実験にはクロスオーバー法を用いた被験者内比較対照実験*という研究デザインを用いました。

実験参加者はランダムな順序で運動条件と座位安静条件を実施しました。運動条件では、20分間の中強度サイクリング運動(最大予備心拍数の50%強度)を実施し、座位安静条件では実験室で20分間の座位安静(スマートフォンの操作や読書等も禁止)としました。その後、15個の単語を声に出して読み上げ、その後覚えた単語を1分間でできるだけ多く書き出すテスト(単語思い出しテスト)を5セット実施しました。その後、24時間後、4週間後、6週間後、8週間後そして11ヶ月後にも、2つの条件で学習した単語の思い出しテストを参加者に実施してもらい、両条件で記憶した単語の正答数を比較しました。

研究成果

本研究では、記憶学習の直後に思い出した単語の最大正答数は、条件間で差がありませんでした(学習直後での最大正答数:運動条件12.9±1.9個、座位安静条件12.7±2.3個)。そのため、記憶学習の直後には運動の影響がないといえます。その後の単語思い出しテストの正答数は、24時間後では運動条件と安静条件間に差がみられず、4週間後では運動条件のほうがわずかに正答数は多かったものの統計学的な差は認められませんでした。ところが、6週間後と8週間後時点での単語思い出しテストでの正答数は、6週間後では運動条件のほうが1.5個多く(約10%増加)、8週間後では運動条件のほうが1.2個多く(約8%増加)なっており、学習前の運動が学習内容の長期的な定着(長期記憶)を強化することを示しました。

図2.単語思い出しテストの正答数の推移 運動条件(赤)と安静条件(青)の各時点での単語想起数(平均値)の時間経過を示し、各時点での縦棒は95%信頼区間を示す。また、図中の「*」がついた時点が運動条件と安静条件での正答数の統計学的な差を示す。

これらの結果は、学習前の運動が長期記憶を強化し、その持続効果が少なくとも8週間後まで持続したことを明示しています。このように、本研究はこれまで最長で1週間までしか示されていなかった運動による長期記憶向上効果が、実はより長期に及ぶことを明らかにしました。

今後への期待

本研究での実験対象は健康な大学生でしたが、子供世代や社会人世代が学校や職場での学習効果を高める取り組みに応用できるよう、今後の研究の発展が期待されます。また今後は、運動が長期記憶をどのように持続的に向上させるかのメカニズムを解明することで、ヒトの長期記憶の仕組みのさらなる理解につながる可能性もあり、多方面への発展が期待できます。

用語解説

*クロスオーバー法を用いた被験者内比較対照実験

クロスオーバー法とは、実験条件の順番で生じうる影響を相殺するため、同じ被験者が複数の条件をランダムな順番で体験する方法です。被験者内比較対照実験とは、同じ被験者に対して、複数の条件を異なるタイミングで与え、条件間の違いによる変化を比較する実験方法です。クロスオーバー法と被験者内比較対照実験を組み合わせることで、実験条件の順番による影響と個人差による影響をどちらも最小限に抑えることができます。

謝辞

本研究は中冨健康科学振興財団の助成を受けたものです。

論文情報

タイトル

Movement boosts memory: Investigating the effects of acute exercise on episodic long-term memory”(運動は記憶を高める:長期記憶に対する急性運動の効果の検討)

DOI

10.1016/j.jsams.2024.10.011

著者

森田憲輝 1)、石原暢 2)、Charles Hillman 3)、紙上敬太 4)

1)北海道教育大学岩見沢校、2)神戸大学大学院人間発達環境学研究科、3)Northeastern University、 USA、4)中京大学教養教育研究院

掲載誌

Journal of Science and Medicine in Sport(オーストラリアスポーツ医学会刊行)

研究者