東京大学 大学院薬学系研究科 金井 求 教授?三ツ沼 治信 助教と、岡山大学 学術研究院環境生命自然科学学域 山方 啓 教授、神戸大学 分子フォトサイエンス研究センター レーザー分子光科学研究部門 小堀 康博 教授の研究グループは共同で、可視光エネルギーを利用して、常温で環状アルカンから最大限の3分子の水素を取り出す触媒の開発に成功しました。

本研究では、光触媒、塩化テトラブチルアンモニウム(TBACl)触媒、チオリン酸(TPA)触媒、コバルト触媒の四種類の触媒をシステムとして複合することが成功の鍵となりました。

環状アルカンから水素取り出し反応を進行させる従来の方法は、300度近い高温や紫外光の照射が必要であったり、1分子の水素しか取り出せなかったり、収率が非常に低かったり、といった課題を抱えていました。本成果は、ガソリンスタンドなどの現状の社会基盤設備で容易に提供可能な、液体で軽量な有機分子を水素貯蔵体として、高いエネルギー効率で水素を取り出せる技術の開発の第一歩になることが期待されます。

この研究成果は、1月9日に『Nature Communications』に掲載されました。

四種類の触媒を複合した触媒システムにより、常温で環状アルカンから最大限の水素取り出しを達成 

ポイント

  • 地球沸騰化に歯止めをかけるために、化石燃料を燃やしてエネルギーを得る現状のエネルギー生産システムから、水素エネルギーを活用する循環型水素社会への転換が望まれている。
  • 炭素-水素結合を多く含む、液体状の有機分子を水素貯蔵体と見なし、有機分子から高いエネルギー効率で水素を取り出す触媒は、水素社会を実現する基盤技術になる。
  • 可視光エネルギーを用いて、環状アルカン1分子から、最大限の3分子の水素を常温で取り出せる、世界初の触媒を開発した。

発表内容

近年、地球沸騰化(注1)が止まりません。その原因の一つは、人類の活動が活発化し、それを支えるために必要なエネルギーの絶対量が爆発的に上昇しているためです。人類が産業革命以来ずっと用いてきた、石油や石炭といった化石燃料を燃焼してエネルギーを熱の形で獲得する方法を、これまでと同じように続けたら、地球上で今日生活している生物の多くが将来は存続できないであろう、と考えられています。

化石燃料は炭素(元素記号C)を主たる構成元素とする有機分子(注2)であり、燃焼―すなわち、酸素(元素記号O)と反応させること―すれば、温室効果ガス(注3)である二酸化炭素(CO2)が原理的に発生してしまいます。一方で、水素(H2)を燃焼させると水(H2O)になり、エネルギーを熱として獲得することができますが、温室効果ガスは発生しません。一つの理想形であるこのような未来像を、水素社会と呼びます。

水素社会を実現するには、多くの要素技術の創出が必要になります。その一つが、水素を安全?安価に貯蔵?運搬する技術です。水素を貯蔵?運搬するために広く用いられている方法は高圧?低温にして液化するというものですが、これは決して効率の良いものではありません。TPOに応じて、より多様な方法が望まれています。中でも興味深い方法は、液体の安価で安定な有機分子を水素貯蔵体として利用するものです。例えば、図1に示すメチルシクロヘキサン(MCH)と呼ぶ環状アルカン(注4)の分子式はC7H15で、3分子の水素(H2)が6個の炭素原子に結合して貯蔵されているとみなすことができます。MCHは常温で液体であり、現状の社会基盤設備であるガスステーションやガソリンスタンドなどに貯蔵することができ、またガソリンを運んでいるトラックやタンカーで運搬することができる利点が有ります。MCHから水素を取り出した後に生じるトルエンも液体で、これに水素を付加させれば、水素貯蔵体であるMCHに戻ります(図1、右から左)。しかし、一般に炭素と水素の結合(C-H結合)は強く、アルカンのC-H結合を切ることが難しいばかりか、さらにここで出てくるHを水素として取り出すのは困難です。実際、環状アルカンから水素を取り出すために今まで開発された方法は、300度近い高温が必要であったり、紫外線照射が必要であったり、最大3分子のうち1分子しか取り出せなかったり、収率が非常に低かったりと、取り出せるエネルギーよりも用いるエネルギーの方が多くなりうるような状況でした。

図1:MCH ? トルエン + H2による水素貯蔵?取り出しサイクル

我々の研究グループは、複数の触媒をシステムとして組み上げて、可視光エネルギーを使ってラジカルを発生させ、これを用いて有機分子のC-H結合を切って有用な官能基(注5)に変える反応を開発してきました。今回、このアプローチを発展させて、可視光(青色)のエネルギーを用いて、常温で環状アルカンから3分子の水素を取り出す触媒システムの開発に成功しました(図2)。

図2:四種類の触媒を複合した触媒システムにより、常温で環状アルカンから最大限の水素取り出しを達成

本研究では、光触媒(赤色)、TBACl触媒(緑色)、TPA触媒(黄色)、コバルト触媒(青色)の四種類の触媒をシステム化することが成功の鍵となりました。それぞれの触媒が重要な役割を果たしており、一種類でも触媒が欠けると反応はうまく進行しませんでした。特に、TBACl触媒とTPA触媒の組み合わせが特徴的で、光触媒がTBACl触媒から塩素ラジカルを発生してこれが1回目の水素取り出しを、TPA触媒から硫黄ラジカルが発生してこれが2回目と3回目の水素取り出しを、それぞれ役割分担しながら推進します(図3上)。反応はフラスコの中で行うこともできますが、細い透明なチューブの中をフローさせながら行う(図3下)と、フラスコでは24時間の反応時間で58%収率にて進行していた反応がフロー反応ではわずか80分で42%収率にて進行することも分かりました。

図3:環状アルカンからの常温完全水素取り出し反応の触媒メカニズム (上図)光触媒によりTBACl触媒から発生する塩素ラジカルとTPA触媒から発生する硫黄ラジカルが、役割を分担しながら、環状アルカンからの常温完全水素取り出し反応を促進する。(下図)フロー系での反応の様子。

地球沸騰化に歯止めを掛け得る水素社会の実現には、さまざまな分野の技術革新が必要です。その中でも触媒化学は、特に重要な位置を占めます。エネルギーという巨大なスケールを考えると我々の開発した触媒は実用化にはまだ遠いですが、本成果で得られた精密な触媒システムの設計概念は、より効率の高い新たな分子技術の革新に向けた第一歩となると期待されます。

用語解説

(注1)地球沸騰化 
地球規模で進む異常気象や気候変動が一線を越え、地球全体が持続可能な状態を保てなくなる危機的状況を指す言葉。具体的には、大気中の温室効果ガス濃度が急激に上昇し、それによって地球の気温が大幅に上昇することで、熱波、干ばつ、大洪水など極端な気象現象が頻発する。このような状態になると、生態系が破壊され、人類を含む多くの生物が生存するための条件が脅かされる。「沸騰」という表現は、これ以上放置すれば取り返しのつかない加速的変化が進むことを強調した比喩である。

(注2)有機分子
炭素原子を中心に構成された分子のことで、生物が生きる上で必要な成分や、日常生活で使われる多くの物質に含まれる。

(注3)温室効果ガス
大気中に存在し、地球を温める働きをする気体のこと。これらのガスは、太陽の光によって地表が温められた後に放出される熱(赤外線)を吸収し、その一部を再び地表に戻すことで、地球を適度に暖かく保つ役割を果たす。代表的な温室効果ガスには、二酸化炭素(CO?)、メタン(CH?)、一酸化二窒素(N?O)、および水蒸気がある。

(注4)環状アルカン
炭素原子が鎖状ではなく、環状につながった構造を持つ炭素と水素から成る分子。

(注5)官能基
有機分子の中で特定の性質や反応を決める部分のこと。有機分子は主に炭素と水素からできているが、そこに酸素や窒素など他の元素が特定の形で加わると、その分子に特有の性質や働きが生まれる。この特徴を生み出す部分が「官能基」と呼ばれる。

研究助成

本研究は、科研費「学術変革研究A グリーン触媒科学(課題番号:23H04909)」、「挑戦的研究(萌芽)(課題番号:23K18176, 22K19008)」、「特別研究員奨励費(課題番号:22F22109)」、「学術変革研究(課題番号:20H05843, 20H05838, 20H05835)」、「若手研究(課題番号:21K15220)」、JST「さきがけ(課題番号:JPMJPR2279)」、ENEOS水素基金の支援により実施されました。

論文情報

タイトル

Catalytic Acceptorless Complete Dehydrogenation of Cycloalkanes
 

DOI

10.1038/s41467-024-55460-y

著者

Rahul A. Jagtap, Yuki Nishioka, Stephen M. Geddis, Yu Irie, Tsukasa Takanashi, Rintaro Adachi, Akira Yamakata, Masaaki Fuki, Yasuhiro Kobori, Harunobu Mitsunuma*, Motomu Kanai*

掲載誌

Nature Communications

研究者

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