神戸大学大学院理学研究科の末次健司教授(兼 神戸大学高等学術研究院卓越教授)は、ラン科植物「コオロギラン」の受粉様式を調査し、柱頭の下部にある指状の付属物が開花後しばらくしてから倒れることで自家受粉が起こることを明らかにしました。
コオロギランは、1889年に著名な植物学者である牧野富太郎が発見した植物であり、牧野が描いた図がロシアの植物学者マキシモヴィッチによって高く評価されたことでも有名です。マキシモヴィッチは牧野から送られた花のイラストを見て、柱頭(stigma)の下にある指状(dactyliform)の付属物にちなんでコオロギランを新属「Stigmatodactylus」と命名しました。このように、コオロギラン属の属名の由来となった指状の付属物ですが、その生態的意義については130年以上にわたり不明のままでした。
本研究では、この長年の謎に焦点を当て、指状の付属物が果たす生態的役割を解明することを目的に研究を行いました。その結果、コオロギランの花が咲いてからおよそ3日後にこの付属物が倒れることが確認されました。さらに、この変化によって花粉塊と付属物が接触し、付属物を経由して花粉管が伸長することで遅延型自家受粉が生じることが明らかになりました。このメカニズムは、コオロギランの花粉を運ぶ昆虫が不足している環境下においても確実に子孫を残すための重要な戦略であると考えられます。
さらに、今回の発見はより広い視野で考えると、生物の分類学的な特徴を詳細に調査することが、生物の生態を明らかにするうえで重要であることを示唆しています。これにより、分類学、進化学、生態学が連携した自然史研究の重要性が再認識されます。
本研究成果は、1月24日 に国際誌「Plants, People, Planet」に掲載されました。
ポイント
- 牧野富太郎が発見したコオロギランの学名は、柱頭下部にある指状の付属物にもとづいて名付けられた。しかし、この付属物の機能は130年以上にわたり不明のままであった。
- 本研究により、付属物を経由して花粉管が伸長することで、開花後期に自家受粉が生じることが確認された。このメカニズムは、送粉者が不足する環境下においても子孫を残すための重要な戦略であると考えられる。
- 本研究は、分類学、進化学、生態学が一体となった伝統的な自然史研究が、現代においても新しい現象を解明する力を持つことを示している。
研究の詳しい内容
ラン科植物の花は非常に多様であり、多くの種が訪花昆虫と特殊化した関係を築いていることで知られています。一方、訪花昆虫が不足する環境に生育するラン科植物では、自動自家受粉※1が一般的に見られます。ラン科植物の一種であるコオロギランは、1889年に日本の植物学者牧野富太郎によって発見されました。牧野は、自身が描いたイラストと標本をロシアの植物学者マキシモヴィッチに送付しました(図1)。マキシモヴィッチはそのイラストに感銘を受け、「このランは全く新しい属である。私は自らつぼみを解剖し、あなたが図示した通りの構造を確認した。柱頭(stigma)の下にある顕著な指状(dactyliform)の付属物にちなんで Stigmatodactylus と命名した」と述べました。この指状の付属物はわずか1 mmにも満たない構造でありながら、牧野の注意深い観察によってコオロギラン属名の由来となりました。しかしながら、牧野の発見から130年以上が経過した現在でも、その機能は不明のままでした。
このような背景を踏まえ、本研究では指状の付属物の機能を解明することを目指しました。具体的には、花期における付属物の動きの観察、人工授粉実験、蛍光顕微鏡を用いた花粉管の観察※2を実施しました。その結果、コオロギランの付属物は開花後約3日で倒れることが判明しました。さらに、この変化により自身の花粉塊と付属物が接触することが確認されました。蛍光顕微鏡による観察では、付属物が倒れた後、この付属物を経由して花粉管が伸長し、自家受粉する様子が観察されました(図2)。花粉管の伸長は、付属物が倒れるまでは起こらないことから、このメカニズムは訪花昆虫による他家受粉が叶わなかった場合にも受粉の成功を保証する戦略であることが示されました。つまり、開花後期に付属物が倒れ自家受粉が起こる戦略は、訪花昆虫がほとんど存在しない暗い林床の環境でも確実に種子を残すための適応として役立っていると考えられます。このように、牧野が発見してから130年以上を経て、コオロギラン属の名称の由来となった付属物の生態的意義を明らかにすることができました。
さらに今回の発見は、より広い視野で考えると、生物の分類学的特徴を詳細に調査することが、生物の生態に対する洞察を深める重要な手段であることを示しています。研究分野が細分化される現在、分類学と生態学が別々の研究者によって行われることが一般的になっています。しかし、本研究は、分類学、進化学、生態学が一体となった昔ながらの自然史研究が、現代においても新たな現象を解明する力を持っていることを強調しています。
注釈
※1 自動自家受粉: 植物が昆虫や風などの助けなしに能動的に自家受粉を行う受粉様式。
※2 蛍光顕微鏡を用いた花粉管の観察:アニリンブルーがカロースに特異的に結合することを利用し、主成分がカロースの花粉管を染色する。蛍光顕微鏡下で染色したサンプルを観察すると、花粉管が蛍光を発する。
論文情報
タイトル
DOI
10.1002/PPP3.10624
著者
Kenji Suetsugu(末次 健司)
掲載誌
Plants, People, Planet