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毎年、ノーベル賞の発表が近づくと、候補者として期待の声が上がる。世界最強の永久磁石と呼ばれる「ネオジム磁石」の発明者、佐川眞人さん。スマートフォン、エアコン、電気自動車など多種多様な製品に利用され、現在のIT社会を切り開く鍵になった発明ともいわれる。そのアイデアはどのように生まれたのか。研究の原動力になったものは何だったのか。2025年1月、母校の神戸大学で講演した佐川さんに聞いた。
研究の基礎を培った神戸大学時代
ネオジム磁石の発明は1982年のことだった。当時は住友特殊金属(現?プロテリアル)に所属する研究者で、38歳。神戸大学大学院で修士、東北大学大学院で博士号を取得した後、2社目となった勤務先だった。
幼いころから科学者を夢見ていた。湯川秀樹氏がノーベル物理学賞を受賞した1949年、父が新聞記事を読みながら説明してくれたことがきっかけだ。湯川氏の偉業に触発され、「大きくなったら科学者になってノーベル賞を取る」と目標を口にした。兵庫県尼崎市で過ごした高校時代には、自然な流れで理系を志し、担任の勧めで神戸大学工学部に入学した。
「入学当時は教養課程が御影(神戸市東灘区)にありました。理系だけでなく、経済学とか社会学とか、いろいろな分野を勉強できることが楽しかったですね。まさに教養を吸収した時期でした。社会学の授業で『人間は社会的動物だ』と聞いたことがとても印象に残っています」
大学では、体育会の陸上競技部にも所属した。「400メートル走で50秒台と、記録はそれほどではありませんでしたが」と苦笑しつつ、「体力は研究の基本です。大学で取り組んだ勉強も陸上競技も、研究生活の基礎になるものとして役立っています」と語る。
工学部での専門は電気工学だったが、関心は次第に移り、大学院では材料工学の研究に没頭した。修士課程の2年間、永田三郎氏ら当時最先端の研究に取り組む研究者に大きな影響を受けた。「先生方を通じて世界というものを感じました。自分がいる研究室は世界に通じている場所なのだ、と」。
研究者としての挫折と転職。そして世紀の発明へ
当時は神戸大学に博士課程がなく、修士課程を終えた後は、金属材料工学の研究を志して東北大学大学院に進んだ。しかし、研究の方向性がなかなか定まらず、論文などの成果は芳しくなかった。「自分は研究者として役に立たないと感じ、自信を失いました」と当時を振り返る。大学に残る道は断念し、富士通に入社。研究所で最初に取り組んだのは、スイッチなどに使う磁性材料の研究開発だった。
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「企業に就職してよかったのは、目標や期限がはっきりしていることですね」という。大学院時代と同じく、ここでも研究に明け暮れ、次第に成果を上げられるようになった。そして、入社から約5年後に指示されたのが「壊れない磁石」の開発だった。専門的知識はなく、社内に指導者もいなかったが、独学で研究し始めると面白さに引き込まれた。
当時最強の磁石とされていたのは、「サマリウム?コバルト磁石」だった。研究者たちはその磁石の強度向上を競い合っており、会社からの指示もそれが前提だった。しかし、コバルトの産出国はアフリカなどの一部の国に偏り、価格も高い。
「資源が豊富な鉄を使えばいいのに、と思いました。でも、当時の研究者たちは皆『できない』と決めつけていました。疑問を持ち、実験に取り組めたのは、私が初心者で若かったからです」
発明に結び付くヒントを得たのは、1978年、東京の研究会で聞いた発表だった。鉄を使った永久磁石ができない理由は、鉄と鉄の原子間距離が近すぎるためで、それを広くできれば実現の可能性があると言及した研究者がいた。発表の中核部分ではなく、少し触れた程度だったが、「それなら炭素やホウ素のような原子半径の小さい元素を合金化して、鉄と鉄の原子間距離を広げればいいのではないか」とアイデアが浮かんだ。
以後、会社の終業後や休日を利用した独自研究として実験に取り組んだ。会社には正式に研究したいと申し出たが、かなわなかった。新天地を求め、住友特殊金属に手紙を書いたところ、社長にアイデアを評価され、入社が決まった。転職後すぐの1982年、ついに完成したのが「ネオジム磁石」だった。
ネオジムはそれまで特に注目されず、活用されていなかったレアアース(希土類元素)だが、鉄、ホウ素(ボロン)と組み合わせることによって「最強の磁石」が実現したのだった。発見した時は「飛び上がって喜びました」。会社はさらに研究環境を整え、3年後には量産化にこぎつけた。
イノベーションを起こすのは若者
今、ネオジム磁石は人々の暮らしになくてはならない存在となり、地球温暖化対策にも役立っている。エアコン、パソコン、電気自動車などに使われているモーターは、ネオジム磁石の利用によって小型?軽量化、省エネルギー化が可能になった。スマートフォンの高性能化にも欠かせない材料だ。
佐川さんがこれまでに受けた賞は数知れない。工学分野の優れた功績をたたえる英国のエリザベス女王工学賞、欧州発明家賞(非ヨーロッパ諸国部門)など国際的な賞も多い。それでも、新たな成果への熱意は変わることがない。ネオジム磁石は耐熱性の面で改善の余地があり、自ら立ち上げた会社を拠点に研究を続けている。
「研究者は若いときにイノベーションを起こす。年配になれば究極を目指す」
そう語る佐川さん。大学や研究機関に対し「若い研究者にチャンスを与えてほしい。成果が出ている人だけでなく、その前段階にある人にも研究費を出してほしい」と望む。そして、学生や若手研究者には「既存の論理にとらわれず、抽象的に考えることを大切にしてほしい。それによってアイデアが生まれてくる」と呼びかける。「常識」に疑問を持ち、ブレイクスルーを生んだ研究者は今、後輩たちの自由な発想に期待を寄せる。
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略歴
さがわ?まさと 1943年、徳島県出身。尼崎市立尼崎高校を経て、1966年、神戸大学工学部卒。1968年、神戸大学大学院修士課程修了(電気工学)。1972年、東北大学大学院博士課程修了(金属材料工学)。工学博士。1972-82年、富士通株式会社。1982-88年、住友特殊金属株式会社。2019年、東北大学特別招聘プロフェッサー称号授与。現在、自ら設立したNDFEB株式会社(京都市)代表取締役、大同特殊鋼株式会社(愛知県)顧問などを務める。日本国際賞(2012年)、エリザベス女王工学賞(2022年)など受賞多数。