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人類学、東南アジア研究の視点から、「国家の介入しにくい空間」について研究する国際文化学研究科の下條尚志准教授。主な調査対象はベトナム南部のメコンデルタだが、国を問わず、そうした空間が形成される背景や、そこで人々が紡ぎ出す秩序をとらえようとしている。その取り組みは、市井の人々から見た「国家」の姿をあぶり出し、社会のありようを問い直すものでもある。「コインの表側を国家とすれば、その裏側を研究している」という下條准教授に、研究の成果や今後の展望について聞いた。
国家とは異なる自律的な秩序で成り立つ空間
「国家の介入しにくい空間」とは、どのようなものなのでしょうか。
下條准教授:
例えば、長年調査をしているベトナム?メコンデルタの村では、ベトナム戦争中、男性が徴兵を逃れるために出家して仏教寺院に入ることがありました。また、戦争終結後に社会主義国になると、集団農業体制のもとで国に米を安く買い上げられて農家の生活が苦しくなり、人々は精米所に米を隠して闇市で売るようになりました。さらに、国内での生活維持が困難な場合は、隣国のカンボジアへの出稼ぎも非合法で行われていました。人々は国境警備隊の監視をかいくぐり、国境を行き来していました。
このような行為ができる空間を「国家の介入しにくい空間」と位置づけ、2021年に出版した自著では、そうした空間が形成される余地について比喩的に『国家の「余白」』と表現しました。都市の周縁で人々が生活の場を築き上げるスラムも、その例だと思います。国家が介入しようとすると反発が起き、たとえ介入しても再び形成されていきますよね。
最近は、カンボジアのトンレサップ湖に浮かぶ水上村の調査も行っています。ベトナムにルーツを持つ人々も含め、戦争の混乱を避けて移動してきた人々が中心となって形成した集落です。このような空間は国家の秩序とは異なる自律的な秩序、モラルによって成り立っており、その点に関心を持って調査しています。
国家が介入しにくいと聞くと、無秩序のように感じますが、秩序はあるのですね。
下條准教授:
大学の授業で学生の意見を聞いても、「国家がなければ社会は無秩序になる」と考えている人が多いようです。日本では、国家が日常生活に浸透しすぎるくらい浸透しており、国の法律が社会の秩序と一致していると考えられがちです。国家が作り出す秩序が自分たちの秩序だ、と思い込まされているようにも思います。
西洋近代社会では、国家がなければ無秩序になるという考え方が根強くあり、それはアジアやアフリカで植民地化を進める口実にもなっていました。
しかし、人類学の視点から見れば、そもそも国家がなくても人間は生きてきましたし、国家のない社会にも秩序や文化はもちろんありました。それぞれの時代、社会で、人間は秩序を作り出してきました。人類学という分野は、国家なき社会の研究を得意としており、西洋社会の知のあり方を問い直そうとしてきたといえます。
ベトナムやカンボジアでは20世紀半ば以降、むしろ国家が無秩序の状態を生み出してきました。国家の形をめぐる対立が起こり、それが国際戦争にまで発展してしまったのがベトナム戦争です。そうした状況の中で、人々は生き残るために国家が介入しにくい空間を作り、地域に根差した秩序を確保しようとしてきました。
「国家の介入しにくい空間」が生まれる背景とは
そもそも「国家の介入しにくい空間」はどういう状況で生まれやすいのでしょうか。
下條准教授:
戦争のように国家が強制力を使って人々を動かそうとしたり、社会主義への転換など国家が社会を大きく改造しようとしたりする時に生まれやすいといえます。
ポル?ポト政権崩壊後のカンボジアのように、全体主義的にコントロールされていた体制が一気に弛緩したときも、国家の介入しにくい空間が生まれやすくなります。最近調査を進めているカンボジアの水上村はその一例だと思います。
ベトナム?メコンデルタの村で出会った人々は、国家が自分たちを守ってくれることもあれば、そうではない時もあると考えていました。そして、国家による制約や強制がある場合、一時的に国家の統制から抜け出すことは、自分たちのモラルには反しないという考え方を持っています。国家の秩序と自分たちの秩序を別のものととらえているのです。
ベトナムやカンボジアに関心を持った理由は?
下條准教授:
大学時代に旅行した際、長期の戦争や政治体制による動乱を経験したにもかかわらず、人々が自律的に生きているように見え、魅力を感じました。しかし、当時手にした学術書は、基本的に国家や政治組織に関する研究が中心で、「人々がどう生きてきたか」がよく分かりませんでした。そこで、見えにくい人々や社会について研究したいと思ったのです。
ベトナム?メコンデルタの村では、2010年から2012年にかけて約1年3カ月住み込んで調査を行いました。最初は方言や習慣が分からず苦労し、体調を崩すこともありました。公安警察に監視されるなど、社会主義国特有の難しさもありました。しかし、今でも村を訪問すると喜んでもてなしてくれますし、コロナ禍でも電話で連絡を取り合っていました。日本以外に自分の居場所があるように感じています。
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日本にも「国家の介入しにくい空間」はありますか。
下條准教授:
見えにくいけれど、あると思います。日本では、そうした空間が出現すると、すぐに規律違反や犯罪ととらえられ、国家の力で排除されたり、反対に国に取り込まれていったりする傾向があります。ですから、表面的には見えにくくなりますが、アンダーグラウンドに入り込んで存在していく。終戦直後の神戸の闇市などはその例でしょう。
阪神?淡路大震災のように大きな災害が発生し、行政が機能しなくなった場合も、被災地の人々が独自の秩序で行動し、国家の介入しにくい空間が一時的に形成されるのではないでしょうか。必威体育感染症が拡大した時期にも、そのような状況がありましたし、今後もありうると思います。
身体をフル動員して考え、普遍的な議論へ。それが人類学の魅力
世界各地で紛争が絶え間なく続いています。その現状を理解するうえで、この研究がどのような役割を果たすと考えますか。
下條准教授:
タリバン政権下のアフガニスタンにしても、パレスチナ自治区?ガザにしても、ウクライナ?ロシア戦争にしても、その現状を見ると、国家による暴力のすさまじさを感じます。しかし、そこで暮らす人々を単なる弱者と決めつけるのではなく、彼らの生きる術、自律的秩序を生み出す力に目を向けることが大切だと思います。私の研究は、即時的に役立つものではありませんが、そういう視座を提示できると考えています。
自著の『国家の「余白」-メコンデルタ 生き残りの社会史-』では、人々が自律的に行動したり、秩序を調整したりする余地がある場所として「余白」という表現を使いました。近代国家の形成過程では国民を統合し、一つの方向へ向かわせようとしますが、その力学に逆らえる余地が残っている方が社会の安定につながると考えます。世界の紛争や対立を見ると、為政者がそれを理解していないように見えます。
人類学という学問分野の魅力はなんでしょうか。
下條准教授:
大学の学部は経済学部だったのですが、仮説を立てて数量的に人間の行動を理論化していく勉強が性に合わず、大学院で現在の分野に進みました。自分の足を使い、ものごとを考えることに興味がありました。人類学でも理論を重視する研究はありますが、私の場合は現地の言葉を覚え、人々と寝食を共にし、地べたから世界について考えたいと思いました。
人類学は、制度化された学問が見落としがちなものを拾い上げ、それが人類を考えるうえでいかに重要かを明らかにしていく学問だと思います。自分自身の身体をフル動員してものごとを考え、そこからより普遍的な議論へ発展させていく。それが最大の魅力だと感じます。
神戸大学で研究に取り組んで約4年。神戸を拠点に研究するメリットはありますか。また、今後取り組んでいきたい研究は?
下條准教授:
神戸は開港以来、世界中からさまざまなルーツを持つ人々を受け入れてきた場所です。戦争や震災という大きな混乱を経験しながら、人々が自律的な秩序を作り上げてきたという面でも魅力的な街です。神戸大学には、神戸という場所に根差した知のあり方を自由に模索できる雰囲気を感じます。
今後の目標としては、カンボジアの水上村での調査をもとに、民族誌的な本を書きたいと考えています。また、現在、アジアやアフリカの国を調査している複数の研究者と共同で、国家の介入しにくい空間の形成について研究を進めています。国を超えた何らかの共通性、普遍性があると考えており、ミクロの事例をマクロな視座の研究に発展させていきたいと思います。
下條尚志准教授 略歴
2007年3月 | 慶應義塾大学経済学部 卒業 |
2015年3月 | 京都大学大学院アジア?アフリカ地域研究研究科博士課程 研究指導認定退学 |
2015年7月 | 博士(地域研究) |
2016年4月 | 京都大学東南アジア地域研究研究所 機関研究員 |
2017年12月 | 静岡県立大学大学院国際関係学研究科 助教 |
2021年4月 | 神戸大学大学院国際文化学研究科 准教授 |