玉川大学脳科学研究所(東京都町田市?所長:坂上雅道)の高岸治人(たかぎし はると)教授、松田哲也(まつだてつや)教授、および神戸大学大学院人間発達環境学研究科(兵庫県神戸市?研究科長:近藤徳彦)の石原暢(いしはらとおる)准教授らの研究グループは、向社会行動に関わる新たな脳の構造的?機能的特徴を発見しました。この成果は、人間の利他性や協力行動の進化を解き明かすうえで、重要な手がかりとなる可能性があります。本研究成果は、2025年2月27日付で学術誌「eNeuro」に掲載されました。
これまで、単一の脳画像指標や向社会行動を個別に検討する研究は多くありましたが、脳の構造と機能、そして多彩な向社会行動との関連を包括的に捉えた研究は十分ではありませんでした。そこで本研究では、構造?機能?拡散の3種類のマルチモーダルMRI指標と15種類の経済ゲームを用いて、多角的に解析を行いました。自然災害時の相互支援や募金といった助け合いに見られる、人間に特有の利他性や協力行動の脳内メカニズムを明らかにすることは、向社会行動の進化的起源の解明に大きく寄与する可能性があります。また、この成果は教育分野やメンタルヘルスなど幅広い領域への応用も期待される点で、社会性研究と脳科学の新たな接点を示す重要な発見といえます。
ポイント
- 多様な向社会行動の測定:20~60代の成人217名を対象に、囚人のジレンマゲームや信頼ゲームなど15種類の経済ゲームを匿名環境下で実施し、実際の行動にもとづいて利他性や協力性を評価しました。
- マルチモーダルMRIによる総合的な脳評価:構造MRI?安静時機能MRI?拡散MRIを用いて、脳の解剖学的構造や神経線維の走行の特徴、左右脳半球間を含む機能的?構造的ネットワークを調査しました。
- データ解析手法:複数の行動指標と脳画像指標を同時に解析できる「多重正準相関分析」を用い、行動データと脳画像データの多対多関係を包括的に解明しました。
- 主な発見: 向社会性が高い人ほど、
- 左右脳半球間の機能的?構造的ネットワークが強く、脳梁(左右脳を結ぶ主要な白質束)が大きい
- 皮質厚が厚く、ミエリン(神経線維を覆う絶縁物質)の密度が低い
- 脳ネットワークにおいて「高い局所効率」と「短い経路長」(いずれもネットワークの効率性を示す指標)を持つ
- さらに、こうした傾向は特に、社会性に関わる脳領域(側頭頭頂接合部など)で顕著に見られました。
研究の内容?成果
実験方法
本研究では、20~60代の成人217名を対象に、囚人のジレンマゲームや信頼ゲームなど合計15種類の経済ゲームを匿名環境下で実施し、向社会行動を測定しました。各ゲームでは、金銭的報酬を用いて他者への協力や公平性、罰行動など多様な向社会行動を客観的に評価しています。
さらに、同一参加者に対して構造MRI(T1?T2強調画像)、安静時機能MRI、拡散MRIといったマルチモーダルMRIデータを収集し、得られたデータの前処理を米国Human Connectome Projectのパイプラインにて行いました。これにより、360の皮質領域と41の皮質下領域それぞれの皮質厚やミエリン密度、機能的?構造的ネットワークなど、多種多様な脳画像指標(計5441項目)を得ることができました。
最後に、これらの脳画像指標と、15種類の経済ゲームから得られた行動指標(108項目)を用いて、多重正準相関分析により多対多の関係を包括的に解析し、向社会行動と脳画像指標との関連を検討しました。

実験結果
向社会性が高い人ほど左右の脳半球をつなぐ機能的?構造的ネットワークが強く、特に脳梁(左右脳を結ぶ白質束)の体積が大きい傾向が見られました。
さらに、皮質厚が厚く、ミエリン密度が低い(非髄鞘成分が増加している可能性を示す)という特徴も確認され、主に社会性に関わる領域(側頭頭頂接合部など)で顕著でした。これらの領域が、向社会行動において重要な役割を果たしていると考えられます。
加えて、脳のネットワーク特性を示すグラフ理論指標においても、高い局所効率と短い経路長(いずれも情報伝達の効率の高さを示す指標)が向社会行動と正の関連を示しました。一方、攻撃や罰行動の傾向が高い場合には、これらの脳指標との関連は弱く、対照的なパターンが観察されました。
総じて、ヒト特有の向社会行動を支える神経基盤として、左右脳間の結びつきの強さ、社会性に関わる脳領域における効率性、および脳の解剖学的特徴が重要な手がかりとなることが明らかになりました。

今後は、これらの神経基盤の加齢や発達段階による変化に着目し、とりわけ小児期や思春期における脳梁やミエリン密度の変化と向社会行動との関連を検証することで、教育や臨床応用へのさらなる発展が期待されます。
補足説明
マルチモーダルMRI
構造MRI(脳の形態を捉える画像)、安静時機能MRI(脳の活動状態やネットワークを可視化する画像)、拡散MRI(神経線維の走行や連結を解析する画像)など、複数のMRI手法を組み合わせることにより、脳の構造?機能?神経回路を多方面から総合的に捉えられる技術です。従来の単一のMRI画像からは得られない多角的な情報を得ることで、脳の働きやその個人差をより深く理解できるようになります。
構造MRI
脳の形や大きさ、灰白質や白質といった組織の構造を詳細に捉えるためのMRI(磁気共鳴画像)手法です。皮質の厚さや体積などを測定し、脳のどの領域がどれくらい大きいのかといったことを調べられるため、個人差や特定の部位の異常?変化を評価するときに用いられます。
安静時機能MRI
被験者が何もタスクを行わず、リラックスした状態(安静時)に脳の活動を記録する手法です。脳領域間の信号の同期を解析し、脳内ネットワークが機能的にどのようにつながっているかを把握できます。この技術により、タスクをしていないときに脳が持つ基礎的な結合パターンを明らかにし、個人差や疾患との関連を研究することが可能です。
拡散MRI
水分子が組織内をどのように拡散するかを捉えることで、脳内の神経線維(白質)の走行や密度を可視化する手法です。従来の構造MRIでは分からない“脳の配線図”を明らかにでき、神経回路のつながり方や異常をより詳しく評価できるため、様々な脳機能や疾患との関連研究に幅広く用いられています。
多重正準相関分析
多数の変数(たとえば複数の行動指標と複数の脳画像指標)を同時に扱い、それらの間にある関連を効率よく抽出する統計手法です。これにより、大規模かつ多面的なデータ同士の関係性を捉えることができます。
脳梁
左右の大脳半球をつなぐ太い神経線維の束のことです。これにより、左脳と右脳がお互いに情報をやり取りし、人間の認知機能や行動を統合的に制御しています。脳梁の大きさや機能的連結の強さは、社会的行動や認知機能に影響を与える可能性があると考えられています。
ミエリン
神経細胞の軸索を取り囲む絶縁カバーのような物質で、電線の被膜にあたります。ミエリンによって信号伝達の速度や効率が高まり、運動や感覚、認知機能の正常な働きを支えています。脳全体の発達や学習能力にも重要な役割を果たすため、ミエリンの状態はさまざまな行動や疾患と関連する可能性があります。
局所効率
脳ネットワーク解析で用いられるグラフ理論の指標の一つで、ある脳領域の近辺における情報伝達の効率性を表します。局所効率が高いほど、その領域を取り巻く脳領域同士の連絡が強く、情報のやり取りがスムーズに行われていると考えられます。
経路長
脳ネットワーク解析で用いられるグラフ理論の指標の一つで、脳のある領域から別の領域へ情報が伝わるまでに要する“乗り換え”の回数を示します。この値が短いほど、少ないステップで領域間の情報をやり取りできるため、情報伝達が効率的に行われていると考えられます。
研究支援
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)の戦略的国際脳科学研究推進プログラム「国際MRI研究連携によるAYA世代脳発達および障害のメカニズム解明(研究開発代表:笠井清登)」、および脳神経科学統合プログラム(個別重点研究課題)「脳コネクトーム?遺伝子?個体差の種間比較からみた脳老化機構(研究開発代表:林 拓也)の支援により実施されました。
論文情報
タイトル
"Multimodal imaging for identifying brain markers of human prosocial behavior"
DOI
10.1523/ENEURO.0304-24.2025
著者
石原 暢(いしはら とおる) 神戸大学 大学院人間発達環境学研究科 准教授
田中大貴(たなか ひろき) 玉川大学 脳科学研究所 特任助教
清成透子(きよなり とうこ) 青山学院大学 社会情報学部 教授
松田哲也(まつだ てつや) 玉川大学 脳科学研究所 教授
高岸治人(たかぎし はると) 玉川大学 脳科学研究所 教授 *責任著者
掲載誌
eNeuro