ダイバーシティ&インクルージョン (多様性と包摂性) が叫ばれながら、日本社会のジェンダー平等はまだまだ遅れている。世界経済フォーラムが各国の男女平等度を比較した2022年版の「男女格差 (ジェンダー?ギャップ) 報告」では146カ国中116位で、先進7カ国で最低だった。昨年の120位からわずかに順位は上がったものの、中国や韓国、ミャンマーなどのアジア各国に比べても低い。2020年から続くコロナ禍では女性の困難が浮き彫りになり、LGBT (性的少数者) への差別禁止の取り組みも遅々としている。なぜ、日本のジェンダー平等は進まないのか。セックスワーカーや性的マイノリティなどに対する社会の構造的な差別問題を研究する国際文化学研究科グローバル文化専攻の青山薫教授に聞いた。
日本の男女格差は国際的に最悪レベル
ジェンダー?ギャップ指数の国際比較では、日本の地位は相変わらず低いままです。
青山教授:
そうですね。この指標によって、日本社会がこの課題を放置してきたこと、ある部分で意図的に取り組んでこなかったことが、よく分かります。ただ、課題を公に訴えるには便利な指標ですが、問題もあります。ひとつには、「ジェンダー?オリエンタリズム」とも言われる、欧米中産階級中心の価値観が反映された指標だということですね。だから、例えばこれで測った地位がいくつか上がったと言って喜んでいてもダメで、それよりも重要なのは、日本社会の中で実質的に平等を達成していくことだと思っています。
今回のコロナ禍は、男女格差の拡大を助長したのではないでしょうか。とくに女性の失業、貧困など深刻な影響が出ています。
青山教授:
男女で見れば、女性の方がより不利益を被ったことは明らかです。しかしそれは、ふだんの差別がよりはっきり表れたに過ぎません。ふだん被差別者の側に置かれている人たちは、災害などの非常事態にはより大きな被害を受けるんですが、それがコロナ化でも顕在化したのです。
具体的には、非正規雇用が多いとか、家事などの無償労働の責任が重いということで、解雇されたり仕事を辞めざるを得なかったりしたのが、女性の方が圧倒的に多かったということですよね。それから、働いている場所自体が不安定な職種、小さな会社といった不安定雇用も多く、会社や事業自体がつぶれてしまったこともあったでしょう。
コロナ禍が招いた女性の困難
コロナによる緊急事態宣言では、女性の就業割合が高いサービス業への休業要請が出され、打撃を受けました。
青山教授:
専門にしているセックスワークのことですが、一番大変だった人たちの中に性風俗で働いている人たちも入っています。小池東京都知事が『飲み屋街が感染源だと疑われます』と言い、吉村大阪府知事は『震源地』という言い方までしました。もちろん、身体的な接触があるので、性風俗店がまったく無実ということはできないけれども、対人接触サービスの場では同じように危なかったはずなのに、とくにスポットライトが当てられ、悪いと印象づけられたのは、一種のスケープゴート化です。それは、常日頃から、いわゆるスティグマ (負の刻印) を背負わされた職業に対してある差別が、緊急事態で表に出たということですよね。ふだんから社会におけるスティグマがあると、公的な立場の人たちは自分たちの責任をそこに転嫁しやすいのです。一般の人々もそれを受け入れやすい。じゃあ、性風俗をつぶせということにもなるわけです。
具体的には、性風俗産業でどんなことが起きていたんでしょうか。
青山教授:
実際に非常に生活に困った人がいて、政府の必威体育対策の持続化給付金を申請したけれども、個人事業主が対象の給付金も、最初は性風俗産業で働いている人は対象外とされたんですね。それには、ネットなどを中心に世論も反対したり、セックスワーカーの当事者?支援団体もクレームをつけたりして、手続きをすればもらえることになりました。だけど、その後の事業者対象の持続化給付金は、性風俗は除外されました。それで、ある事業者が提訴して、2022年6月にあった東京地裁判決では、国の主張が通って請求が棄却され、現在、控訴中です。
裁判では、持続化給付金から性風俗産業を除外した国の規定が憲法に違反するかどうかが争われました。憲法学者の東京都立大教授の木村草太さんらが給付しないのは法の下の平等に反するので違憲という趣旨の意見書を出され、私もこれは日本政府によって歴史的に繰り返されてきた性風俗事業に対する不当な差別の一環だという意見書を出しました。今までも、何か非常事態が起きると、性風俗は本当は存在してはいけないということで、国はたたいてきました。でも、これを合法としてきたのも国であり、そのすべての規制を守り、多くの人の生活を支え、納税しながら営業している事業の一つだけに給付しないのは職業差別です。
LGBTの差別解消も遠く
ところで、性的指向を理由とした差別を禁じる五輪憲章を踏まえ、東京五輪?パラリンピック開催に向けてLGBTの差別解消を目指す法案が、2021年の国会で議論されました。結局、自民党の保守派の反対で国会提出は見送られました。LGBTへの対応も日本は遅れています。
青山教授:
LGBTに関しては、私も、同性パートナーと暮らす当事者として発信もしています。野党側が提案したLGBTの差別禁止法は実現されるべきだと思っています。自民党がまとめたLGBT理解増進法案に関しても、党内の委員会による趣旨などを見ると、意図としては悪くない部分もある。けれども、理解増進では法律にならない。現在具体的に差別を受け経済的社会的不利益を被っている人がいる状況なのですから、その差別を止めさせるのが国や法の役割ではないでしょうか。理解増進法案が何を目指したかというと、カミングアウトしなくてもいい社会をつくるということです。そのために、具体的に何を示すかはなくて、理解を増進しましょうで終わっている。それでは、マイノリティとマジョリティの立場は揺るがなくて、関係は変わらない。マイノリティの側に立てば、とにかく現状を改善するためにはこういう差別はダメ、ここで区別したらダメということを言わないといけないのに、それがない。具体的な差別に対して、マジョリティの側、差別されてない側が理解しましたと言ったことしか認知されない。それではまったく平等には近づかない。あまり面白くない漫才みたいです。
野党側のLGBT差別禁止法案は評価できますか?
青山教授:
ほかにもいろんな差別があるので、LGBTQといった性的マイノリティだけの差別を禁止するといっても、限界があります。それでも差別禁止はあった方がいいし、罰則があった方がもっといいと思います。ヘイトスピーチは罰則はないけれども禁止法ができたために街頭では減りましたから、効果はあったと思います。LGBT禁止法についても、あれば何らかのプラスの効果はあるだろうと思っています。
「伝統的な家族」の欺瞞
最近はダイバーシティやインクルージョンといった概念も広がっています。安倍政権以降、女性活躍を掲げた政策を導入する一方で、LGBTの差別禁止に関する法整備や選択的夫婦別姓制度の導入は先送りされています。
青山教授:
まさに総論賛成、各論反対ですよね。政治家の言ってることがどこまでが世の中のためか分からない。今回の旧統一教会と政治家との関係がどんどん明らかになるにつけ、本当に嫌になります。結局お金と票のために何でもありなんだと思うと、理性では闘えなくなるという脱力感。政府が何のためにあるのかを語る何の理想も通じないような。選択的夫婦別姓とかLGBTの差別解消に反対する背景には、旧統一教会とか日本会議とかの考え方があるのでしょう。そうなると、どんなに理念や理論で議論をしようと思っても通じないわけですよ。
これらの法律や制度を変えない理由として、「日本の伝統的な家族が損なわれる」といった議論が繰り返されます。
青山教授:
実は日本的な家族観とか伝統的な家族といわれるものは、新しい考え方なんですよ。たとえば、江戸時代の日本社会は離婚も再婚も普通だったしセックスも婚姻と関係なくいろんな人としていた。江戸後期の少数の武家社会のルールが英国ビクトリア朝の影響力と相まって明治以降に移植されたのです。それを「伝統」と呼ぶのは本当はおかしいんですよ。
性とセクシュアリティを超えた連帯を
ダイバーシティ&インクルージョンの実現に、どう取り組んでいくべきでしょうか。
青山教授:
根本的なところに戻ると、ダイバーシティも、下手すればみんな違ってみんないいみたいな口実に使われて、実際には何もやらない理解増進だけで終わる危険性が高いと思っています。次は「性の多様性」だといって、実際、LGBTQだけでなく、女性差別の問題などが取り残されてしまって、なくならないままではまずい。しかし他方で、女性運動や女性学が女性だけに特化して取り組んできたことはマイナスの遺産も残した、とも思います。日本のように女性の地位があまりにも低く抑えられている社会ではとくに、女性の当事者運動が、女性差別問題を性的マイノリティ差別問題にも広げて取り組む余裕があまりなく、連帯が阻まれてきたところがある。でも、ジェンダーに関してもセクシュアリティに関しても差別しない、されないということで、関係者が意識的に連帯していかないといけないんですよ。
大学としては、どう取り組んでいきますか。
青山教授:
研究者の立場では、研究を重ねることで伝わるべきところに伝わっていけばいいと思っています。いずれは、政策決定にも影響したいですが。教育では、学生に直接、セックスとかセクシュアリティとかジェンダーの話ができます。それはどんな性の人にとっても自分の生き方を世の中につなげて考えることになるんですよ。そういう意味では、この立場でできることを一生懸命やるしかないと、あらためて思っています。私はこの大学に着任して12年になりますが、10年前に比べると、LGBTQやジェンダー平等に肯定的な反応が圧倒的で、学生の意識は確実に変化しています。
大学としては、「多様な性?ジェンダーに関する基本方針とガイドライン (PDF)」を打ち出したところです。また、国境を越えた教育?研究活動や知識の交換を目指す大学間ネットワーク「ユネスコチェア」に加盟し、ジェンダーや脆弱性に配慮した防災対策をテーマに研究やセミナーに取り組んでいます。だけど、神戸大学の教授や理事、研究科長などの指導的な立場の女性の割合はまだまだ低いですね。ただ、国際文化学研究科は、研究科長が女性ですし、教授職の約4割が女性、学生も女子が7割を占めています。
歴史的な「第3の性」に注目
今後の研究テーマ、課題があれば教えてください。
青山教授:
LGBTQはジェンダーと同じように、輸入概念であることがネックになって日本社会になかなか馴染まなかったり、世代間の認識の差が大きかったりするんですよ。理屈で分かっていても情念の部分で受け入れられないということでもある。そこの乖離が気になっています。編著者の一人として、「東南アジアと『LGBT』の政治」(2021年、明石書店) を編んで強く感じました。東南アジアではジェンダー分業がはっきりする以前、つまり500年ぐらい前までは、全然違う性別システムがあった。いまのジェンダーのシステムよりもずっと複雑で多様でした。東南アジアだけでなく、似たようなシステムが南北アメリカ先住民族やヨーロッパの東にもあり、北東アジアにもあったことが分かっています。中央集権化が早く今のジェンダー制度も早く定着した西ヨーロッパの方は証拠があまり残ってないらしいですが、たぶん同様でしょう。
いちばん分かりやすい例は、インドのヒジュラなど「第3の性」と言われる人たちです。ネイティブ?アメリカンの間では、「トゥー?スピリッツ」と言われてますが、今ならトランスジェンダーと呼ばれる人たちでしょうね。その人たちが「普通に」社会に存在し、王権に近い地位の場合もあった。当時の宇宙観を担っていたのだろう、ということが、あちこちで解明されています。今さら性の多様性というのが滑稽に感じられるぐらいです。西洋的な近代化が性を2つしかないことにしたのですね。このことから、新しい研究テーマとして、歴史家にも手伝ってもらって、東南アジアや東北アジアを含めた地域の性の多様性の研究を続けていきたいと思っています。
研究者紹介
出版社勤務等の後、英国立ウォーリック大学大学院 (修士課程) に留学。南北格差や貧富の格差とジェンダーとの関係を学ぶ。日本に一時帰国した時に「アジア女性資料センター」(現国際NGO) で、意に反して性産業で働かされ殺人事件を起こしたタイ人女性に差し入れをするボランティアをした経験をきっかけに、セックスワーク、人身取引、移住について研究。その後、団体職員などを経て、英国立エセックス大学社会学部大学院で研究を再開。国境を越えて移住するセックスワーカーに関する博士論文を仕上げた。性風俗産業の調査?研究を続ける中、「当事者の話を聞くだけでは不十分で、結果的に当事者のプラスになるような研究をめざすことが大事だと思った」という。売買春やアダルトビデオ (AV) の出演強要問題をめぐる規制のあり方などについても、一貫して「スティグマを背負わされた側」の立場から提言を続ける。最近は、神戸市の職員らと勉強会を開くなどLGBTQに関する支援活動も行っている。