てんかんは100人に1人が発症し、世界で5000万人、日本では100万人に上り、脳疾患では脳卒中や認知症に次いで多いという。高齢化とともに増える傾向にあり、身近な病気といえる。神戸大学大学院医学研究科の松本理器教授は、未知の脳の機能にひかれ、一貫しててんかんの治療、研究に取り組んできた。その過程で、正確な診断や難治性の患者の外科手術に欠かせない脳の機能地図をつくる新しい手法を開発し、世界の臨床現場で応用されている。2022年5月には兵庫県内初のてんかん支援拠点病院の開設にも尽力し、患者の生活の質の向上に寄り添う。てんかんに関する基礎的な知識から最新の研究までを語ってもらった。
脳はあたかも「小宇宙」
脳神経内科の医師を目指したのは、どんな動機からだったのですか?
松本教授:
大学進学を控えた高校2、3年生のころ、大学教員だった父の専門の宇宙工学か、医師になるかで迷いました。宇宙ロケットを飛ばしたいという思いもありましたが、周産期障害による脳性まひの兄弟がいたので、なぜ脳の病気で歩けなくなるのかという疑問もあって、脳神経内科の医師の道を選びました。脳は他の臓器と違い、脳から脊髄、筋肉、手足の先まで全身に神経回路が張り巡らされ、システムとして機能しています。脳の中にも何百億という神経細胞があり、複雑なネットワークをつくっていて、まさに「小宇宙」と言えます。そこに興味を持ちました。
脳の機能や役割には未知な部分が多いとされますが、どこまで分かっているのですか?
松本教授:
脳はまだまだ分からないことが多く、ブラックボックスです。例えば、言葉を聞いたり話したりという言語や運動に関する機能はだんだん分かってきましたが、それでも100%分かっているわけではありません。脳の前方にある前頭葉が司る思考や知性、感情といった脳の働きはもっと複雑で、まだまだ分かっていません。脳の仕組みや機能をきちんと理解し、脳の機能の破綻である病気の原因を知ったうえで、治療につなげていきたいと思い、臨床や研究を続けています。
脳神経内科分野で主にてんかんを専門にされています。何がきっかけだったのですか?
松本教授:
脳神経内科が診療の対象とする病気は幅広く、高齢者に多い脳卒中や認知症のほか、てんかん、パーキンソン病や筋萎縮性側索硬化症といった神経難病なども入ります。脳の疾患を内科的な知識や技能を持って診療するのが脳神経内科で、手術など外科的に治療するのが脳神経外科です。脳神経内科の医局に入って研修する過程で、薬剤治療から外科手術まで治療のオプションがたくさんあることやコントロールできる病気でやりがいがあるということで、てんかんを専門として選びました。
脳は神経細胞の電気活動によって電流が流れ、その活動が脳波として記録できます。てんかんの患者さんは、日ごろは普通に機能している脳の働きが、電気活動の異常によって発作を起こします。脳の機能をちゃんと知っていると、発作の症状が分かります。脳のいろんな仕組みと発作の症状が深く関係しているので、脳の仕組みに興味がある者にとっては非常に興味深い病気です。
てんかんの症状や治療法について、具体的に教えてください。
松本教授:
てんかんは、電気活動の異常が起きる場所によって、大きく2つの症状があります。脳全体に異常が出るのが「全般てんかん」といって、けいれんなど全身に症状がでます。脳の一部から異常が出るのが「焦点てんかん」で、脳の場所によってその機能にかかわる症状が発作として現れます。症状としては、全身のけいれん以外に、意識がくもり声をかけても返事ができないとか、一瞬ピクッとしてものを落としたりすることもあります。電気的に脳波を測ったりMRIなどの画像で脳の傷を撮影したりするなどの検査によって、てんかんの発作の震源地(てんかん焦点)が分かるようになってきました。さまざまな検査を駆使して震源地が分かれば、周囲の脳の機能を温存して、焦点を外科的な手術で切除する治療も可能です。てんかんは7割は薬で治療できますが、3割は薬が効かない難治性で、場合によっては外科的な手術で治療します。
てんかんセンターを開設
神戸大学医学部附属病院に「てんかんセンター」が開設され、初代センター長を務められています。センターはどんな役割を担っていますか?
松本教授:
てんかんは、脳卒中や認知症に次いで多い脳の疾患で、小児に多い病気ですが、超高齢社会となり、高齢者でも脳卒中、認知症や頭部外傷で神経細胞が傷んでてんかんを発症する人が増えています。こうした状況を踏まえ、厚生労働省が平成30年からてんかんの地域横断的な診療体制の整備を本格的に始め、各都道府県に1カ所ずつてんかん支援拠点病院をつくることになりました。兵庫県でも、患者さんの団体である日本てんかん協会兵庫県支部と一緒に県に働きかけ、2022年5月に拠点病院として「てんかんセンター」が開設されました。
てんかんは一つの診療科で診るのは難しく、小児科や脳神経内科、精神科、脳神経外科など多くの診療科がチームで診ないと、患者さんの困っていることに対応できません。2018年に神戸大学に着任以来、診療科横断的に月1回の症例検討会を重ね、2021年からは薬剤抵抗性の難治性の患者さんに対し、外科手術も行えるようになりました。てんかんの正確な診断や外科手術に欠かせない長時間ビデオ脳波モニタリング検査も年間50件を超えています。また、2022年11月から、患者さんからの電話の相談窓口を設け、週3回、各診療科の医師が相談を受けています。治療だけでなく、就学や就職、結婚などさまざまな患者さんの悩みに応じ、自立を支援するきめ細かな対応をしていきたいと思っています。
てんかんの治療や研究に打ち込む中で、診断や外科手術に必要な脳波の検査に関する新しい技術も開発されました。
松本教授:
「皮質皮質間誘発電位(cortico-cortical evoked potential: CCEP)」といいますが、2000年から2年間、てんかんの外科治療のメッカといわれる米国オハイオ州のクリーブランドクリニックに臨床フェローとして留学中に開発し、2004年に論文発表しました。言語など脳の高次機能は、脳(大脳皮質)の領域同士が神経線維で繋がってネットワークを形成することで、その機能が発現されます。また、てんかんの発作時にはこのネットワークを介して、過剰な電気興奮が広がり、発作の症状が現れます。MRIの進歩で脳の中の太い神経線維は画像で見える時代となりましたが、脳の表面(皮質)のどの領域に線維が繋がっているかまでは残念ながら分かりません。ところが、大脳皮質に微細な電流を1秒間に1回といった低頻度で流すと、電気活動が大脳皮質の内側の白質線維を介して伝わり、到達した脳の領域から脳波が記録できます。刺激によって誘発された脳波(誘発電位)が可視化できて、どこにつながっているかがちゃんと分かるのです。
例えば、ブローカ野とウェルニッケ野という言語野は、「弓状束」という太い線維で繋がっていますが、ブローカ野を刺激することで、この言語線維を介してウェルニッケ野から誘発電位が記録されます。言語線維の近くの脳腫瘍の手術では、この誘発電位の大きさをモニターすることで、言語機能を担う線維の温存を図ることが可能で、世界の臨床現場で応用されています。てんかんは過剰に神経細胞が興奮する病気ですから、誘発反応の大きさをみてそこが焦点かどうかといった臨床応用もできます。
低侵襲の脳機能地図を開発へ
今回、神戸大学の国際共同研究強化事業に採択された「世界標準となる低侵襲脳機能マッピング法の開発」は、その技術を応用し深化させるものですね。研究の狙いと期待される成果は?
松本教授:
今回の研究は、電気刺激を駆使して脳の機能地図をつくるための方法(低侵襲脳機能マッピング)を、フランスのモンペリエ大学のデュフォー教授と共同で開発します。大脳皮質の内側の白質は、神経細胞から出た線維(軸索)の集まりで、その機能は21世紀になるまで分かっていませんでした。デュフォー教授は、白質に高頻度の電気刺激を行うことによって白質の線維の束の機能を同定する方法を、初めて開発しました。患者さんの脳機能を温存して脳腫瘍やてんかんの治療を行うことにお互いに興味があったので、彼から声がかかり、2021年ごろから共同研究を始めました。もう一人、医情報工学の第一人者であるフランスの国立情報学自動制御研究所のボネブラン主任研究員も加えて、異分野共創の研究を発展させたいと思っています。
低侵襲というのは、例えばてんかんの焦点の近くに電流を流すと発作が誘発されることがあるので、覚醒下手術をするときにはなるべく電流を最小限に抑えながら、脳の皮質(表面)と線維(内側)の全体をネットワークとして地図をつくれたらいいということです。これはまだ世界的に実現していないので、今回の研究チームで臨床応用に向けて世界に先駆け開発を目指します。
略歴
1994年3月 | 京都大学医学部卒業 |
1998年4月 | 京都大大学院医学研究科博士課程入学 |
2000年7月 | クリーブランドクリニック神経内科てんかん?臨床神経生理部門クリニカルフェロー |
2003年3月 | 医学博士取得 |
2007年4月 | 京都大学医学部附属病院神経内科助教 |
2016年8月 | 京都大学大学院医学研究科臨床神経学准教授 |
2018年12月 | 神戸大学大学院医学研究科内科学講座 神経内科学(現脳神経内科学)分野教授 |
2021年2月 | 神戸大学医学部附属病院院長補佐 |
2021年4月 | 神戸大学医学部附属病院認知症センター長 |
2021年5月 | 同てんかんセンター長 |
注釈
※ 国際共同研究強化事業 | 神戸大学
松本教授はB型?国際共同研究育成型?に採択されています。