本居宣長 (1731~1801) が近代日本思想史に残した足跡は必ずしも完全無欠の功績ばかりではない。なかには負の遺産もある。アジア太平洋戦争の時には特にひどかった。宣長の自讃歌「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」は「愛国百人一首」の一首に撰ばれ、武士道精神を象徴する歌として解された。神風特別攻撃隊の名称 (敷島隊?大和隊?朝日隊?山桜隊) もこの歌からとられた。戦死を美化する散華の精神である。宣長は「日本精神」の権化とされ、大東亜共栄圏統一の理論的根拠とされた。しかしながら、それらは近代日本が構築した宣長の虚像というほかはない。宣長は誤読?曲解され、拡大解釈されて、戦争讃美の具として機能したのである。それは時代錯誤以外の何ものでもなかった。本書は宣長の言説が時局に利用され曲解されるシステム、宣長の実像が歪められて受容されるメカニズムを検証し、近代日本思想史において果たした宣長の役割を解明することを目標とした。なお、「大東亜戦争」の呼称は、同時代的観点に立って対象を見るという立場を表明したものであって、「大東亜戦争」を聖戦として全面的に擁護することを意図したものではない。
表紙の装訂は、前著『本居宣長の思考法』(ぺりかん社、2005年) に引き続いて高麗隆彦氏が担当し、『古事記伝』付録『三大考』第十図?筧克彦『大日本帝国憲法の根本義』所収の皇国概念図?北田宏蔵「新世界地図」をあしらった幾何学文様である。
大学院必威体育研究科准教授?田中康二