本書の目的は、日本企業によって行われる利益調整行動を、実証分析を通じて理論的に解明することである。利益調整(earnings management)とは、会計基準の規定の範囲内で行われる、会計利益の操作を目的とした裁量行動のことをいう。現行の会計基準は、会計手続き選択や会計上の見積もりの決定について、経営者にある程度の裁量を認めている。そのため経営者は、報告利益を裁量的に調整する手段を有することになる。実際に、減価償却の耐用年数を数年間変更するだけで、数百億円規模の当期純利益を捻出したケースも過去に報告されている。利益調整に関する経営者の意思決定は、財務報告に大きな影響をもたらしうるのである。
このような経営者行動の背景には、何らかの経済的な動機が存在することは容易に想像できよう。またそのような利益調整行動が、企業と経営者にもたらす経済的影響も無視できない。さらには、経営者がどのような手法を用いて報告利益を調整しているのかも重要な検討課題となる。そこで本書では、利益調整の解明にあたり、(1) 利益調整は行われているか、(2) 利益調整の方法は何か、(3) 利益調整の動機は何か、という分析視点から実証分析を行う。
日本の会計手続き選択に関する研究には、いずれの会計手続きを採用すべきか、という規範的な議論も多く見られる。このアプローチは、会計基準の設定時には大きな力を発揮するが、なぜ経営者が特定の会計手続き選択を選好するのか、という問いに答えることはできない。本書は、この「なぜ」という分析視点を重視し、経営者の会計行動を説明する仮説の構築とその検証に分析の主眼を置いている。すなわち、代替的な会計手続き選択の存在を前提にして、なぜ経営者は報告利益を調整するのか、ということを説明し、予測することを分析の焦点としている。このような会計実務の理解は、会計基準の設定時にも不可欠の要素となるであろう。
本書の第1の特徴は、日本企業の利益調整行動を、体系的に解明している点にある。経営者の会計手続き選択に注目する研究は、米国を中心に1970年代から行われ、これまでに系統だった経験的証拠の蓄積が行われている。残念ながら、規範的なアプローチが支配的な日本では、米国ほどの研究の蓄積は見られず、経験的証拠にもとづく議論もさほど根づいていない。そのため本書では、米国の研究成果と比較可能な分析結果を提示することを意識して、利益調整の有無、方法、動機および経済的影響という観点から、利益調整に関する体系的な実証分析を実施している。これにより、日米の利益調整行動の共通点が明らかとなる。
ただし、米国の先行研究の追試を行っただけでは、日米比較という意義しかもたず、その貢献は限定的となってしまう。本書の第2の特徴は、利益調整に影響を与える要因として、日本特有の会計環境を積極的に分析に織り込んだ点が指摘できる。具体的には、(1) 日本特有のディスクロージャー制度、(2) 日本企業に特徴的なコーポレート?ガバナンス?システム、といった2つの要因に注目し、欧米の先行研究では見られない利益調整行動を検出することに成功した。日本企業に特徴的な利益調整行動を解明したことは、本書独自の貢献となるであろう。本書が提示した分析結果が、わが国の会計実務における、経験的証拠にもとづく議論の定着と発展に、多少なりとも寄与することができればこの上ない喜びである。
経済経営研究所准教授?首藤昭信