学力をめぐる議論が今、なお盛んです。見ようによっては、論者それぞれが勝手な定義をして独善的な主張を繰り返す、いわば神学論争めいた、出口のない議論のように見えます。しかし、学力をめぐる議論とは、本質的にそういうものです。学力の定義をめぐる議論自体が本質に深く関わっています。「『共通の土俵』を設定してから建設的な議論をしよう」という声はもっともなものにきこえますけれども、実は学力論争の本質をよく理解していない声の最たるものです。いわば「共通の土俵」がないことを認識することそれ自体が「共通の土俵」であり、議論の出発点です。
しかし、だからといって学力をめぐる議論が不毛で、どうでもいい議論であるとは決して考えません。というのは、次の時代を担う子どもたちがどのような考え方、知識を身につけどのような人間になっていくのか、という問題は国家、社会ひいては世界の行方を左右することになるのでもあり、重要極まりない問題だからです。いささか大袈裟に言うと、われわれにとって「学力とは何か」という問いは「人生とは何か」、「生きるとは何か」という問いに等しいと考えます。万人が納得する一通りの答えは出にくいのですが、これを考え続けていくことこそがよりよく人間として生きるということではないのでしょうか。
われわれ編者は、この認識に立ち、ここ数年学力関係の仕事をともにしてきました。『学力論争とはなんだったのか』(ミネルヴァ書房、2005年1月)、『学力問題?ゆとり教育 (リーディングス「日本の教育と社会」第Ⅰ期第1巻) 』(日本図書センター、2006年11月) はいずれもわれわれの共同作業の成果です。われわれはこれらの共著、共編著の執筆を通じて討議を繰り返し、完全ではないにせよこれらの問題に関してほぼ見解が一致しています。本書上下巻はわれわれにとって学力三部作の最終巻です。
本書は上下巻に渡り、第二次世界大戦後の日本における学力問題を論じた主要な論稿を中心に集録しました。もちろん、学力問題に関わる論稿は膨大であり、全体から見れば氷山の一角に過ぎません。しかし、戦後日本で学力をめぐり何が議論されてきたのかがよく理解できるように論稿を選び、構成にも熟慮したつもりです。学力論争のもっとも大きな軸の一つは、学力を計量可能なものに限定するか、計量が困難 (あるいは不能) なものにも拡大するのかということです。勝田=広岡論争、坂元=藤岡論争から近年のゆとり教育をめぐる議論に至るまで、この点が大きな軸の一つであり続けています。このことは本書を読まれればご理解いただけると確信しています。
特に上巻では戦後日本の学力論の流れがわかるように、重要な論稿25本を厳選して収録しました。学力を論じるには必要不可欠な論文が多く含まれています。教育に関わる方々に広くお読みいただければ幸いです。
大学教育推進機構/大学院国際協力研究科教授?山内乾史