「嵐」という男性アイドルグループが、テレビの新番組『嵐にしやがれ』の記者発表をおこなった (2010年4月20日)。「どんなゲストが来たら緊張するか?」という記者からの質問に、櫻井翔という「嵐」の一員は「オレは、村尾さんかなー。やっぱり、報道の温度でしか会ってないからー、オレここで「アハー!!」とか言ってんの見られるのちょっとつらい」と答えている。
「村尾さん」とはニュース番組のメインキャスターで、この番組には櫻井氏もキャスターとして出演している。ニュース番組ではニュース番組らしくおとなしくまじめに振る舞い、バラエティ番組『嵐にしやがれ』ではバラエティ番組にふさわしくふざけるということに櫻井氏が何の問題も感じていないかというとそうではなく、櫻井氏は村尾氏がゲストで来れば「ちょっとつらい」と言っている。櫻井氏がニュース番組でおとなしくまじめに振る舞っているのは、「おとなしくまじめなスタイル」を選択してのことではなく (それならば番組内容に応じて別のスタイルに切り替えても何ら問題ないはずである)、『おとなしくまじめな人』キャラとしてのものである。だからこそ、それが番組によって変わっていることが露見してしまい、「こいつ、こんな奴だったのか」と思われることを考えると「ちょっとつらい」。
私たちの生活は、コミュニケーションにせよ、ことばにせよ、「状況に応じたスタイルの切り替え」というもっともらしい考えでは実は説明しきれない。日常的に繰り広げられる私たちの悲喜劇を通して、「本当は変えられるが、変わってはいけないもの。変えられないことになっているもの」(キャラクタ) の重要性を指摘し、その基本的部分を観察したのが本書である。
国際文化学研究科教授?定延利之