天下ノ智ヲアツメ血液ヲ通ハシ大成スルモノハ大阪ノ米相場ナリ——。19世紀初頭に山片蟠桃が「夢ノ代」で謳った大坂米市場は、はたして天下の智を的確に価格へと反映する市場であったと言えるのであろうか。もしそうであったとすれば、なぜそれは可能となったのか。この素朴な問いに、経済史学の立場から挑んだのが本書である。
結論を言えば、本書は山片蟠桃の観察を支持している。近世中後期の大坂米市場は、過去の値動きを観察することによって超過収益を獲得することができない市場であったという意味で情報効率的な市場であり、その価格は飛脚や旗振り通信によって、隣接する大津米市場へ一刻を争って速報されていた。かかる市場の働きを支えたのは、現代のトレーダーにあたる米仲買たちが結成した株仲間と、米市場における契約履行を保証し、市場の歪みを矯正するべく種々の政策を打ち出した江戸幕府とが構成した重層的な取引秩序であった。
山片蟠桃など、江戸時代における在野の経世家が、高度に洗練された経済的見識を持っていたことは、これまでもよく知られていたが、江戸幕府の役人については、ともすれば市場に関して無知であり、商人に対して居丈高な姿が連想されがちである。18世紀初頭まではそうした姿勢が垣間見えたことは確かであるが、本書が紙幅を割いて紹介した18世紀中葉に活躍した幕府役人たちは、その対極に位置している。対話を繰り返し、市場参加者の理解と協力をうまくとりつけながら、政策を遂行する幕府役人の姿に、これまでとは少し違った江戸時代像を見出して頂ければ幸いである。
経済経営研究所 講師?高槻泰郎