20世紀の人間科学は、ヒトの運動が機械とまったく異なる原理によるものであることを明らかにしました。
ロシアのニコライ?ベルンシュタインによって1930年代にはじめられた身体運動科学の革新は、ヒトの動きがいくつもの下位システムが複合する高次のシステムであると主張しました。この領域は研究方法も洗練され、すでに多くの知見が蓄積されています。
国際的な身体運動科学のこの潮流に、心理学における知覚への生態学的アプローチのアイデアが合流したのは1980年代です。両者の融合が、複雑なシステムである身体が、光(視覚)や、振動(聴覚)や、力学的接触(触覚)の場という、生態学的情報に包囲され、それらの動きの制御情報を与えられていることを示しました。
身体という高次のシステムは、環境表面のレイアウトや、空気に内在する情報に包まれていることが示され、この環境と身体のつながりが、人間科学が探究すべきことの中心に登場したのです。
本書は、20世紀半ばからはじまり、後半に加速した「身体」と「知能」をめぐる科学的アイデアの大転換を丁寧に示すことと、それが現状でどのような研究として進展しつつあるのかを明示することを目的としています。
知覚をアタマの「内部」ではなく、独特の構造の表面と空気をもつ地上環境の「内部」で起こる活動として位置づけた心理学者ジェームズ?ギブソン。存在するものは「知られうるもの」と「感覚されうるもの」のいずれかであり、「魂とは、ある意味、存在するもののすべてである」と述べたアリストテレス。「感覚されうるもの」についての考察から、触覚の媒質について触れたアリストテレスの議論は、バックミンスター?フラーのテンセグリティ(張力統合体)のアイデアと出会い、力覚をめぐる21世紀の細胞生物学?認知科学?生物規範ロボティクスと共振する。
本書では、今後の人間科学に重大な示唆をもつ理論的転換が、著者自身の研究においてどのように見出されたのかについて豊富な事例が示されると同時に、それがわたしたちの日常の実践とどのように関連するのかについて様々な例から言及されており、読者に身近な日常のとらえ直しを迫る内容となっています。
人間発達環境学研究科?准教授 野中 哲士