日本人がまだ知らない「台湾」の貌(かお)。
2015年、台東県鹿野郷龍田村で日本統治時代に建てられた神社が再建された。これは、台湾において、初めて日本統治時代と同じ場所で再建された神社であり、なおかつ、初めて台湾の大工と日本の宮大工が協力して再建した事例であるといわれている。
その鹿野村社が位置する台東県鹿野郷龍田村は、台北から遠く離れた台湾東部の田舎の小さな農村であり、かつて、砂糖の原料となるサトウキビ栽培のために日本から集められた移民(糖業移民)たちが生活をしていた移民村である。日本統治時代の終了とともに住民はすべて日本に帰国しているため、現在の村内には日本統治時代の鹿野村社を知る人々はほとんどいない。そもそもその時代には、この地で生活をしていた台湾の人々はほとんどいなかった。
多くの日本人観光客にとって、保存され、リノベーションされている日本統治時代の建築物は、台湾で親日性を感じるひとつの象徴である。しかし実際に、台湾の人々は、単に日本が好きだから多額の資金を費やして建築物を再利用するのだろうか。行政の側から、住民の側から、個々の立場の人々の働きや相互関係に焦点を当てた上で、日本統治時代の建築物が再利用された経緯について分析を行っていく。
日本統治時代を経験した台湾の人々、そして現代台湾社会において「日本」はどのように位置付けられ、どのような意味を有しているのか。台湾研究におけるこの大きなテーマに、新たな視点を提示することを目的に、かつて糖業移民村であった龍田村の神社の再建を通して、「親日台湾」イメージで語られる世界とは異なる、重層的な台湾社会の複雑性について議論を展開する。
ゆまに書房 書籍紹介より